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『七瀬ふたたび』と中二病 【エッセイ】

 中二病とは面白い言葉である。よくそのようなカテゴリーを見付けて絶妙な名前を付けたものだと思う。症例を調べてみると、過去の自分の中からその症状を見付け出すことは案外容易いと感じてしまった。何しろ、中学時代の自分は空想好きであった。読書が好きであった。漫画を読んだり書いたりしていた。妖怪や幽霊話が好きであった。宇宙人やUFOなどミステリーに興味があった。そして、控え目に言ってむっつりスケベであった。むしろ、罹患して当然の体であったと言えるだろう。

 中二病を広くとらえることも出来るが、ここでは思春期特有の肥大化した自意識がもたらす妄想が、現実と空想の境界を明確に設定しないうちに暴走し、端から見ると滑稽としか言いようがないおかしな行動を取ってしまう症状のみに限定したい。

 私が中二病に罹っていたであろうということで最初に思い出す出来事は、中学生のときに筒井康隆の名作『七瀬ふたたび』を読んだことに始まる。

 他人が心の中で考えていることがわかってしまう能力を持つこの小説の主人公、火田七瀬(ひたななせ)は、無用なトラブルを避けるために自分が精神感応能力者(テレパス)であることを隠して生きている。だが、偶然同じ夜汽車に乗り合わせた男性客たちは、そんなこととは露知らず、若くて美人の七瀬を盗み見ては、心の中でいやらしい想像を展開してしまう。第一話「邂逅」には、そういったシーンがある。

 私は『七瀬ふたたび』の中でもこの「邂逅」のお話が一番好きなのだが、七瀬が持つテレパシー能力の生々しい描写を初めて読んだ中学生の私は、大きく衝撃を受けた。そして、もしも、本当に他人の心が読める人が実在し、今も素知らぬ顔で暮らしていたとしたら……それも案外、自分のすぐそばにいて、ときどきそっと心の鍵を外して自分の心の中を読まれていたとしたら……と私は授業中に本気で考え込んでしまった。そっと教室を見渡し、クラスメートたちの様子を探り、教壇に立つ教師の様子を窺い、一番近くにいる女子に目を止めた後、(だめだ、もうエッチなことを考えるのはよそう)と固く決意したのである。

 姿の見えないテレパスに怯えて、必死で清らかなことだけを考えようとしていた自分は、まさしく中二病の罹患者であったと言えよう。

 大人になって振り返れば、いやらしい空想に耽ることを、なぜそんなにも中学生の自分は必死に隠したがっていたのかいささか滑稽に思うが、ただ、思春期の只中にいるときに、自分が周囲にスケベな人間であると露見することは、人生において致命的なことだという価値観に縛られているのはいかにもありそうなことだし、当時の自分はまさにそうだった。

 なまじ読書が好きだったために、その方面の知識だけは増え、かくして順調に「むっつりスケベ」へと仕上がっていった私だった。誰かがぽろっと漏らした卑猥な冗談に、誰よりも真っ先に反応してしまうのもむっつりスケベの特徴である。その場で即座にからかわれ、顔が真っ赤になってしまうという失態を私は何度演じたことだろうか。

 あるとき、同級生から幽体離脱の方法が書かれている雑誌を借りた。それを本気で実践しようとした出来事も、私が罹った中二病のひとつに数えられるだろう。

 人間は死の直後に肉体と幽体に分かれるのだという。幽体は意識を持ったまま自分の肉体から遊離し、たった今、息絶えた自分の肉体を少し高いところから見下ろしている……そんな臨死体験者の証言は、心霊超常ミステリー好きにはお馴染みである。私が借りた雑誌には、生きている状態で自由に幽体だけ離脱し、再び肉体に還ることが出来る方法が書いてあったのだ。

 幽体離脱をして私は何をしようとしていたのか。中学生のむっつりスケベな男子が考えることと言えば、女子の着替えやお風呂場を覗くものと決まっている。あの『ドラえもん』でのび太はこれまで何度もラッキーな目に遭っているではないか。私は異性の「裸」「ヌード」といったものに強い関心があった。まだインターネットがない時代の話である。

 その雑誌によれば、幽体離脱をするには仰向けに寝て、おまじないのような言葉(正確な内容は失念)をゆっくりと唱えながら入眠状態になるのを待つ。体はリラックスしてきて、意識もだんだん途切れ途切れになってくる。そして、いよいよ眠りに落ちようというとき、そのぎりぎりの瞬間を狙って、むっくりと上半身を起こすのである。成功すれば体は寝たまま、幽体だけが起き上がった状態になるという。

 その晩、私は試すことにした。もしも幽体離脱が出来たら、夜空をふわふわと飛んで、気になっている女の子の家に行ってみたいと思い、どこに家があるのか知らないにも関わらず、破廉恥なことを考えながら私は入眠体勢に入った。うつらうつらしてきた頃、今だ! と思ってむっくりと起き上がった。

 やった、成功だ。半身を起き上がらせた私は、期待をもって寝ていた布団を振り返った。しかし、そこには抜け殻となった肉体は寝ていなかった。私はただ普通に起き上がっただけだった。

◇◇

 エロ目的で幽体離脱を試みようとしたことは、当然誰にも話さなかった。覗き見したいという願望も、本来であれば許されないことだ。自分はむっつりスケベなうえに特殊な変態なのだとしばらく思い詰めた。

 だが、後年、私はテアトル新宿で上映していた『四月怪談』(1988)という作品に出会う。大島弓子の少女漫画が原作で、中嶋朋子が主役を務める映画だった。自分が事故で亡くなり、幽体として存在していることを深刻に受け止められない主人公は、姿を気付かれずにどこへでも一瞬で好きな場所へ行ける幽霊ならではのテレポート能力に興奮する。そんな彼女が最初に行った場所が、密かに憧れていた同じクラスの男子、津田沼さんの部屋だったのである。

 私はそのシーンを観て、大いに共感してしまった。後で調べたら、オリジナルの原作にも同一のシーンが書き込まれてあった。気になっている人に会いたい、知りたい、という気持ちに、男女の違いはなかった。ただ、その方法が私の場合、思春期ならではの斜め上を行っていただけで、それがわかってほっとしたのである。

 成長するにつれて、私も日々の経験から学んでいった。人間には、自分を大きく見せたいときもあれば、格好良く思われたいときもあること。願望を遂げようと小狡いことをしたり、嫌われるのを恐れて自分を飾ったりしても、結局はうまくいかないこと。そのうち、多くの失敗を重ねて、恥を掻きながらも素直な自分をさらけ出し、正攻法で気になった女性と向き合うことが、実はもっとも自分に合ったやり方だったことに、私は多くの時間を費やして気付いたのだった。ずいぶん回り道をしたが、あの中二病に罹った日々は、現在の私を構成する要素として捨て去ることはしたくないと思う。

 最後に、このような偶然に気付いた。映画『四月怪談』を撮った小中和哉監督は、のちに芦名星主演で『七瀬ふたたび』(2010)の映画を撮ることになるのだ。私はこの文章を書きながら、私だけが感じる『七瀬ふたたび』をめぐる大きな円環が見えたような気がした。思春期に自分が仕立て上げた妄想に思い悩み、悶々とした日々。中二病は、いずれその人の肥沃な精神の土壌に変わるのだと私は信じたい。



〈今回登場した図書リスト〉

『七瀬ふたたび』筒井康隆 新潮文庫
『四月怪談』大島弓子 朝日ソノラマ
『四月怪談』小中和哉監督作品 DVD

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