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どうぶつに、にんげん。


子供の頃、母に連れられて動物園に行った。

動物たちの目は、どこか遠くを見つめていた。

私と弟と母と、母の友達のリナとの4人で「キリン」を見ていた。首が長くて、黄色くて、模様がタイルの様にずっしりと敷き詰められていて、まつ毛が長く、足が綺麗だなと思った。

リナが何か思い出したかの様に、バックからじゃがりこを取り出して「キリン」だよと言った。
パッケージを見ると、たしかにキリンが描いてあるのが分かった。食べてみたら、硬い春巻きの様な味がした。

どうして生き物は、何かを食べなくてはならないんだろう。

お腹がすくって、とても不思議だ。

「お腹がすくから、ご飯を食べないと死んでしまう」と聞いているから、変に思わないのかも知れない。でもその仕組みは、いつ、どうして生まれたのだろう?

この世に生まれてきたからには、死にたい生き物なんて存在しないはずではないか?
どうして生まれてきた「いのち」を、私たちはいただくのだろうか。

私は、図鑑を見るのが大好きな子供だった。だけど、どの動物図鑑を見てもおとぎ話を聞いている様な、ファンタジーなものに思えた。

今、目の前にいるキリンを見て、こんなにも首が長い動物がいることを信じられるのは、やっぱり動いているからだろうか。

動物園は嫌いだ。動物を檻に閉じ込めて自由を奪っている。もしこの子達が、大自然にいたら、伸び伸びと野原を走っていたのかもしれない。

だけど、サハラ砂漠に生息しているキリンに。私たちは、そんな遠〜くの場所に行かなくても会えている。

なんとも複雑な気持ちだ。

人間は、慣れていないと「怖い」と感じてしまう生き物だ。だから、きっと「分かる」というものを増やしては「固定観念」や「既成概念」を安心材料として生活ができているのかもしれない。その動物がどんな生き物か把握ができていないと、人間は優しく接する事ができない様なそんな気がする。

動物園に来て、その動物がどんなものなのか理解することで、私たちは生き物に対して可愛いと思えているのかも知れない。

檻や柵は、人間が動物達に対しての「恐怖」の現れなのだ。

動物達は私たちが思っている以上に、ずっと「強い」。

いつか、恐怖から解き放たれた私が、君たちと「対等」になれたらな。

そのために、私は「強くなりたい」と思った。

FIN

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