葬儀のこだわり

祖父が孤独死をしており数日たっていたとのこと。
詳しい報告は警察から連絡が来ていない。
おそらく明日になるだろう。

祖父の長男である叔父が唯一連絡が取れる親族である。
私の父(次男)の不祥事により縁を切られていたが、
ふとしたきっかけで、電話をかけてそこから話をするようになった。
そはいえ年始のあいさつ程度。

しかし何か緊急時になると、必ず私に投げてくる傾向があった。
祖父が入院した時も、見舞いにも来なかった。
しかし私は500kmある病院へ日帰りで何度見舞いに行っただろう。

今回も祖父が死んだけどどうする?って。

私だって生活かかっている。
解雇問題があり、バックペイだって今日までの満額も保障されていないし、
解決金や、慰謝料的な上乗せの可能性だってない。
全くをもって争っている最中なのだから。

人の死は私は重きを置くべきであるとは思っている。
しかし、どのくらいの費用がかかり、時間がどれほどかかるのかなどわからない、ましてや長男がいるのに姪っ子(祖父から見て血縁関係のない孫)にゆだねられるのは若干の違和感を感じた。

罰当たりかもしれない。
私が考えた結果、警察署から遺体が戻ってくるもしくは移動を求められる可能性があるのは最短で明日以降。
土曜は友引なので役所関係は土日24時間体制で確認取れたので手続きしてもらい、火葬場の予約を月曜日にとってもらう。
日曜の深夜~月曜早朝にかけて私が移動すれば、月曜火葬は立ち会えるだろう。


葬儀は無しとし、遺骨も火葬後納骨してもらおう。
(このあたりは近年珍しくないと葬儀屋に確認)
20万もあればできると確認できた。

それで提案したところ、その辺りの地域は檀家のしきたりで、
一連は寺の方針にゆだねているそう。
熱心な檀家とは聞いてはいないが・・・・それは聞かねばならないのだろうか。
費用は100万(そのうち寺取り分40万)
その後49日までは毎日経を唱えてに家に来るとのこと。
さてそれって必要なのだろうか。

まず、葬儀はしないよりした方がいいのはわかる。
田舎であるからある程度した方がいいという見栄もわかる。
しかし、どうなんだろうか。
これはその地域にいない者の薄情な感情なのか。
お骨についても数年おいている人もいれば納骨後即墓に入れるのもある。
必要でなければ永代供養や散骨もある。

しかし49日まで毎日?
孤独死といったところで、すでに居住者はいない。
それまで親族はそこにいないといけないのか。
もしくはいなくても、毎日行きますと玄関口などでお経を唱えるというのか。
火葬だけって確かに淡泊な終わり方かもしれない。
最期くらいやはりその地域のしきたりや習わしに従うべきなのか。
そこに、誰も残ることはないとしても。

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