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若者ヒトリ

若者として叫んでおきます。クズな私。
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若者ヒトリ

この世界は誰も守ってくれやしない。
自己防衛が当たり前とされる。頭の悪さも、生きにくさを感じるのも、私が交際できないのも、貧乏なのも全ては私が選択してきた人生という道であり、全ては私に責任があるのだ。自己責任が人生の鉄則。
だから備えるのだ。お金をたくさん蓄えるのだ。信用できる他者はいない。お金は友人より使い勝手が良いが、恋人ほど愛せるものでもない。諭吉はただの使えるいいヤツだ。

法律は学校教育では教えてはくれない。なぜなら常識だからだ。どんなに残虐なことをしても子どもには罪と罰は無い。とされている。大人になれば法律に従い大人しく生きる。そこまで不自由のない生活だ。それは日本国憲法が保障してくれることになっている。

他人とは分かり合えない。厳密には考えや価値観が違う人同士で話しても双方に擦り寄る姿勢がないとお互いを理解できない。しかし、みんなはわざわざわかり合おうとしない。自分に味方してくれる同じ世代や先輩方がいるからだ。そっち側にいた方が煩わしさから解放される。

愛とはなんだろうか。真実の愛なんてものはとっくの昔に存在したものだろう。考えるだけ無駄だし、空っぽの掘り尽くした後の炭鉱でカンカンしてもちっぽけなものしか手に入らない。つまらないものだ。

私は今死んでしまいたい。世の中つまらなくて平凡で分かり合えなくて、理不尽が横行していて、でもそれはどんな手段を用いても変えられない。誰かを殺したって、言葉にして訴えかけたって、どんなたいそうなデカブツを作っても大した変わらん。所詮私にはできっこないのさ。

私にも好きなものはある。アニメと映画だ。それらは私にさまざまな視点や解釈をくれる。何かわかった気になるから好きだ。
生きることを保つのが辛い。だから喘息持ちなのにチュパチュパとタバコを吸う。だから飲み屋で馬鹿みたいに飲む。依存していた方が楽だ。考えなくていいから不安やうざいことを気にしなくて済む。

私は誰かに愛されたいような気がする。親ではない誰かに。その無限だと思いたい愛を受けたり与えたりして心酔したい。でもそんなヒトはいない。友達すらいない。友達の定義ってなんだろうか。

私はこれからどこに向かい何をしていくのか。私は時々全てが面倒になってしまう。全てを投げ出して自分を一度リセットし再起動させたくなる。こんなにも面倒でそれでいて側から見ればユニークな人生。結局死に向かってなぁなぁに毎日をやり過ごしていくのだろう。身体なんて維持するだけ無駄だ。さっさと痩せ細って脳だけにでもなってしまえ。

現実世界でそれでも生きていこうという動機が私には必要だ。1人はやっぱり寂しいよ。

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