見出し画像

文章に全く魂がこもらない

こんばんは。
自分が書いた文章に全く納得がいかないです。
一見普通の文章ですが、自分自身が中身を感じない。
中身が空っぽの文章にどんな意味があるのでしょうか。

ゆっくり休んだら治るとは思います。
でもなぜか焦ってしまってジタバタしています。
書いても書いても納得がいかない文章。
やはり休むのがいいのか、悩みます。

どうしてこんなに苦しんでいるのだろうか。
この苦しみの先に明るい未来はあるのか。
それでも書きたい気持ちがひとり歩きして意味のない文章を書いてしまいます。

散文なら書けるんですが、小説のように相手にどう思わせたいかを考えてかけないんです。
もともとそうだったのかもしれません。
知識が増えて自分のハードルが上がってしまい、書けなくなったのかもしれません。

今日も1000文字以上書いてみましたが、何だかなって感じです。
魂が抜けた文章に思えます。
プライベートが充実していないからこうなっているのでしょうか?
よくわかりません。

書きたいのに思うように書けないのはとても苦しいです。
苦しんでいる時期もあったなと、あとで笑える日々がくればいいのですが。
こうして散文を書くのはストレス発散にもなっています。
思ったことを書くのが好きなのかもしれません。

もともと文章を書きたいと思い始めたのは自分の内側を表現したいという気持ちからでした。
自分を認めてもらいたいという承認欲求でした。
そんな思いは今どこかへ飛んで行ってしまいました。
ただ書きたいという思いだけが残っています。

自分の内側だけを描くという時代に逆行したことをするのもいいかもしれません。
売れ線を書くのは私には無理です。
すぐに書くのが嫌になってしまいます。
私にとって文章は自分を表現するものなのです。
その延長でみなさんに楽しんでもらえれば、って感じです。
楽しんでもらうためだけに書くことができないのです。

滝修行をしている修行僧の頭の中を小説に書くとか、瞑想中の信者の頭の中を書くとかがいいのでしょう。
独りよがりをエンターテイメントまでひきあげるしかない気がします。
どこまで独りよがりやねん!って突っ込まれるような小説を書くのがいいのかもしれません。

ランサーズなどでシナリオの仕事をさせていただき、文章を書くのは速くなりました。
以前が遅すぎただけなのかもしれません。
ガンガン書いて、書けないという思いをかき消すのか、ゆっくり休んで書けるようになるまで待つのは自由だけど、文章書くの休むと文章力落ちるかもしれません。
それに書きたい思いはあるのだから、こうして散文を書き続けて書けるようになるのを待つのもいいかもしれません。

やっぱり、純文学を書くのがいいのかなあ。わからんち。

サポートしていただけると励みになります!