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妊娠中の私を救った同期のひと言

 12月のある日、家を出て駅までの道を歩いている時、ふと生理遅れてるなと思った。次の瞬間、あぁ、これでまた私も誰かを傷つけるかもしれない。と思った。


 私は稀発月経でおそらく排卵していないと気付いていたので、結婚後に早々と産婦人科へ通った。数日おきに内診で卵巣を診てもらい、やはり排卵していないと言われた。そして数日おきにホルモン注射をする日々が始まった。卵胞が育ち、排卵が近づけば「タイミング取ってください」と言われた。悪魔の言葉、「タイミング取ってください」。

 産婦人科の待合室にいるのは基本的に妊婦だった。お腹の大きい人、小さい人、いろいろだが、皆カバンにはマタニティマークが付いている。診察を終えて帰ってくると母子手帳らしきノートとエコー写真を持っている。

 診察までの待ち時間に、私は仕事をし続けた。産婦人科の待合室にPCを持ち込み、パワポを作ったりメールを返したりしていた。妊婦は存在するだけで私を傷つける。だから妊婦を視界に入れず意識しないために、PCのバリケードが必要だった。

 数日おきに注射する苦痛、通院する苦痛、卵胞が育たない苦痛、「タイミング取ってください」と言われる苦痛、また生理が来る苦痛、そして数多くの妊婦が存在する苦痛。家から産婦人科まで徒歩5分なのに、帰り道の5分を耐えきれず涙が出てくる。通院の時じゃなくても、街中にはマタニティマークを付けた人がいっぱいいる。「おなかに赤ちゃんがいます」可愛らしいマークが目に入る度に、勝手に私が傷ついた。

 思い返せば、同棲してしばらく経つのに結婚の話が進まなくてやきもきしていた頃は、通勤電車のゼクシィ広告や他人の結婚指輪にイライラしていた。誰も悪くないのに、勝手に私が傷ついていた。結婚、妊娠、出産。女を傷つけ合うライフイベント。それぞれの武器は指輪、マタニティマーク、子ども。

 誤解なきように言っておくと、友人のライフイベントは心から嬉しい。友人ではなく、道行く見ず知らずの女が装備するシンボルマークが武器となり、無意識に私を攻撃してくる。

 不妊治療はタイミング法、人工授精、体外受精、顕微授精とプロセスが進む。終わりの見えない治療の旅。

 治療の旅は数か月で突然終わりを迎え、私も妊娠することができた。心拍確認ができた頃、区役所で母子手帳を交付してもらうように言われた。区役所では母子手帳、マタニティマーク、副読本、区からのプレゼントを貰った。産婦人科医はドライな対応だったが、区役所の職員はすごく温かい声で「おめでとうございます」と声をかけてくれた。私もマタニティマークを付ける側の人間になった。

アカチャンホンポでは木製のマタニティマークを貰った

 でも、昨日までマタニティマーク攻撃を受けていた私がすんなり堂々とマタニティマークを付けられるはずがない。まだお腹はぺたんこで、つわりも軽かったので、マタニティマークを付ける必要もないような気がした。

 同様に、職場の人や友人に妊娠を伝えることも躊躇した。男性には比較的伝えやすかったが、女性にはどう捉えられるかわからない。表面的にはおめでとうと言ってもらえるけど、実は傷つけているのではないか。職場で一緒に仕事をしているメンバーには、急に休むことになるかもしれないので伝えなければならない。家族がいる人はまだしも、独身の人も多い。妊娠初期は、妊娠の嬉しさもありながら、周りの反応にビクビクしながら過ごしていた。


 ある日、会社の同期とチャットをしていて、話の流れで妊娠したことを明かした。頻繁に会うわけではないけれど波長が合う友人なので、正直にこの手の話は気を遣うと伝えた。彼女はこう返してくれた。

「不妊治療や死産でつらい思いをしている人に配慮を、という意見もあるけど、喜びたいことを喜んだっていいじゃんね」

 パァーーーッ! と視界が開けた。私は妊娠を喜んでいいんだ! 喜びたいことを喜ぶ、自分の気持ちに素直でいいんだ。当たり前だ。膝を打つってこういうことか。

 その日から、私は自信を持って自分の妊娠を人に伝えられるようになった。多分誰かを傷つけている。でもそれは相手の問題であって、私にはどうすることもできない。過去の私が傷つけられた無数のゼクシィ広告や結婚指輪やマタニティマークに、攻撃の意図はなかった。私が勝手に傷ついただけだった。

 マタニティ・ハイ的な他人に配慮のない発言はしないように気を付けたつもりだけど、もしかしたらそう捉えられた部分もあったかもしれない。でも、こんなにたくさんの人におめでとう、と言ってもらえることはなかった。多くの人が赤ちゃんの誕生を楽しみにしてくれた。新しい生命の誕生は、圧倒的に喜ばしい出来事だった。



 今、私は臨月で、お腹にスイカがくっついているような感じで、マタニティマークがなくてもどこからどう見ても妊婦だ。同期のあの言葉のおかげで、マタニティライフを楽しんで過ごすことができた。赤ちゃんがお腹から蹴ってくるだけで幸せなので、ずっとこの時間が続けばいいのに、と思ってしまう。でもそんなことは望めない。

 あとは満足のいくお産ができますように……。


《終わり》

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