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説教オジサンにならないために

「説教オジサンになりたいか?」と聞かれた時、なりたいと答える人はいないが巷では説教オジサンの愚痴に溢れている。
みんな説教オジサンになりたくない。ただそこにはきっと形容し難い誘惑があって、説教オジサンになっている。

少し前、トレードのことを教えてほしいという青年がいた。少し長くやっているだけで人に教えられるほどのものではないが、話を聞いているとどうやら危ない。根本的に再現性を高めていないトレードをしているようであった。トレードにおいて再現性がないことは、勝っても負けても先がないことを意味する。

このままでは危ないと思い、再現性の説明や伸ばし方、トレード自体のしんどさ、私の周りのトレーダーの話など、出来うる限り伝わるよう言葉を選び伝えた。それが私の一視点でしかないことも。

典型的な説教オジサンムーブである。
ただ、彼はとても熱心に聞いてくれたように思う。あの時の自分は、「自分がどう思われるか」を全く考えていなかった。それが説教オジサン回避のキモだと思う。

賞賛を浴び、尊敬されたい。それは多くの人が強い欲求として持っている。ただその感情は必ず透けて見える。言葉だけではなく仕草に、目線に、空気に。「自分を見て!」という幼稚さを内包する言葉は、どれほどの含蓄や知識を備えても伝わらない。聞く気が起きない。

相手を見る。相手に必要だと思う言葉を掛ける。究極的にその言葉を投げかけるのは自分でなくても良い。今目の前にいるのたまたま自分だから自分が伝える。そういう言葉だからこそ相手は聞きたくなる。

自分の中の「こう見られたい」が言葉を発しようとする時、そんな時は沈黙して、相手を見るのが良い。

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