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三人の唄うたいの物語.

小雨降りしきる11月の或る夜。
ビニール傘を鳴らす秋雨の音を聴きながら渋谷のライブハウスへ向かう。

ライブハウスに足を運ぶのはいつぶりだろう。
そんな哀しいことを考える日が来るなんて数ヶ月前の自分はきっと思いもしなかっただろうけど、現に随分と久しぶりになってしまった。

コロナ禍、ライブハウスの規制、自分を取り巻く環境、自分や世界への向き合い方、音楽への気持ち、ずっと燻り続けている衝動や感情。
様々な「変化」がライブ業界にも私自身にも嫌という程絡みついている。

そんな中、指折り数えて待ちわびた11月2日。
「井上緑×中原くん W-ONEMAN LIVE」
@Shibuya duo MUSIC EXCHANGE

緑さんも中原くんもOAのちゃるさんも、なんならduo自体もとても久々。
渋谷駅の喧騒、早足に脱出するホテル街、向かいのローソンの無機質な青色、見慣れた風景と情景がコロナ前と何も変わらずそこにはあった。

等間隔の待機列や、毎度低体温症を実感する検温、乾燥肌に追い打ちをかけるような大量のアルコール消毒などなど変わってしまったこともあるけれど。

それでも、ライブ前の鼓動のスピード、ドリンク代600円を払うときの少しの焦り、スモークの匂い、湧き上がるようなわくわくと期待。変わらずそこにあるものたちがただ堪らなく、愛おしかった。

( ああ、私はやっぱりライブが好きなんだなあ。)

自分でも言い表せない安堵にも似たような感情を身体中に満たしながら、会場内の心地よい騒めきに耳を傾けていた。


▷ OA. ちゃるけん

OAはちゃるさんことちゃるけんさん。
ドリンクを交換しようと席を立った瞬間、彼のステージが始まった。

一音目が耳に飛び込んで来た途端、思わずバーカウンターまでの通路で立ち尽くしてしまった。ライブならではの音の響き、ザラつき、温度。久しぶりの生歌とアコギの生音に胸が震える。

「ああ、ライブハウスに帰ってきたんだ。」

数ヶ月ぶりの湧き出す幸福に、一気に胸がいっぱいになった。
これだよこれ。この感覚。ずっと待っていたんだこの瞬間を。


「 花 」

少し前にちゃるさんがライブを再開できたらまずは「花」を歌いたいと言っていた。その言葉の意味が、今となっては痛いほどに分かる。
歌詞の全てが、紡がれている言葉の全てが、今の状況ともどかしい現状を代弁してくれている。優しく寄り添うように、大丈夫だと歌ってくれる。

こんなに優しい歌だったんだ。

聴く環境、状況、心境、全てが変わってしまったこの世界で、久しぶりに耳にする「花」は、まるで違う曲のように感じた。萎れかけていた心に寄り添ってくれているように感じた。
今までの何倍も何百倍も。

あふれた涙で芽を出した花を
育てるんだまっすぐにはならなくとも
いつかの未来にもう一度 届くまで
やがて忘れ去られようとも
鮮やかな花になれ

いろんなことを忘れてしまいそうな今の世の中、渋谷の夜、ライブハウス、東京の片隅に咲いた優しい「花」を私はきっといつまでも忘れないだろう。

「 太陽 」

僕だけを照らしてよ太陽
足掻いても変われない日々に 殺される前に


「太陽」は地味に初生聴き。この一節が痛いほど好きでずっと聴きたかった。

人生や世界にどうしようもない生き辛さを感じてしまった時期に、この曲に出会って噎せるほど泣いた記憶がある。こんな世の中だから、正直今も生き辛さを感じない日はない。そんな時に初めて生で聴く「太陽」。
沁みないわけがないじゃないか。

特別な人でありたいけど、現実と自分の凡庸さに打ちのめされてしまいそうな時、この曲は決まって「太陽」のように私をそっと照らして肯定してくれるんだ。
私が生きることに疲れてしまう瞬間をまるで知っているかのように。

ライブは序盤も序盤だけど、この瞬間私は今夜のメイクとおさらばしたよ。


ちゃるさんの歌はいつもセピア色の本みたいだ。
藁半紙のような、手触りの良い古書のような、どこか懐かしくて暖かいそんな歌声と丁寧に紡がれた優しい物語のような歌詞がそう思わせてくれるんだと思う。

何気ない日常で、ふと読み返したくなるようなそんな物語性を纏った歌。

決して派手ではないけど、またここに帰って来たくなる。
ああ、そうだ。ちゃるさんの曲ってそんな気持ちにさせてくれるんだったなあ。

優しいものを、心の温度を、思い出せた気がした。最高の夜の最高の幕開けだった。


▷  中原くんONEMAN LIVE


続いて、、
飾り気のない裸一貫Voトップサスの照明の中現れた見慣れた派手シャツの人影。

このご時世で声が出せないのに!思わず声を荒げて煽ってしまいたくなるくらいに心躍る圧のある歌声!!圧倒的な歌の上手さ、声と見た目のインパクト!!!

中原くんだああああああ!!!!!!

全員逃がさねえぞと言わんばかりの眼光、圧力、歌唱力。ずっとずっと浴びたかったよその熱度を!!!脳が震えるようだよ!!!

正直興奮やら衝撃やらで序盤ブロックはあまり記憶がない。笑 でもこのブッ飛び具合もこの感覚もずっとずっと待ちわびていたもの。
どうしてだろうか、堪らなく嬉しい。

「二度寝」を聴けたのが個人的にとても嬉しかった。専門学生時代に鬼ほどリピートした曲。月並みの言葉だけど、とにかくエモい。
記憶を詰め込める曲というものには出逢おうと思ってもなかなか出逢えない。そのはずなのに、私は久方ぶりの「二度寝」に鼓膜を預けながら、『カラフルP0pきゃんでぃ』を擦り切れるほど聞きながら歩いた通学路と、その中間にある葛西のクリーニング屋の匂いを思い出していた。


「 エサ 」

この日の「エサ」はなぜかいつもより鮮明に舞台の景色が浮かんだ。
ステージにいるのは中原くんのはずなのに、明らかに曲の中で悲しそうに笑う彼女の姿が目の前にあるような気がした。

いつも思ってるんだけど、どうして中原くんはこんなにも女性目線の曲を書くのが上手いんだろう。

心の中を覗かれてるみたいな不思議な気持ち。
少しどきりとするくらいのリアリティ。
本当にその場にいる錯覚を見てしまうほど美しくて儚い光景、そしてこの上なく澄んだ歌声。

そりゃ目頭も熱くなる。
美しいよ、かっこいいよ、中原くん。


…そんなことを思っていたら鼓膜に飛び込んできたのはまさかの「 みずあび 」のイントロ。

まさか「エサ」と「みずあび」を並べて聴ける日が来るとは、、、!

この日この二曲を並べて聞いてみて気づいた。
いや、とは言っても所詮個人的な解釈でしかないんだけど、「エサ」で確かにみた彼女の儚い悲しみを孕んだ笑顔を、私はこの「みずあび」の中にも見たのだ。

この二つの曲を通して紡がれていく、
悲しい恋の物語を見たのだ。

中原くんには彼女が憑依しているように見えた。
演技力?歌唱力?描写力?どの言葉でも言い表せない。
彼女は確かにそこに居た。渋谷のライブハウスで一人の少女が泣いていた。

憑依力、とでも言っておこうと思う。


中原くんのライブはまるで舞台で演劇でミュージカルだ。

主人公は全て彼自身。彼の人生を脚本とした最低で最高の舞台を見ているみたいだ。泥臭くて我武者羅だけど、誰よりも純粋に音楽と自分を爆発させるその姿に何度も何度も勇気と元気をもらってしまう。

「俺がどんなに売れようと、どんなに人気になろうと、ステージでこうしてふざけることだけはやめねえから!!!」

いつもふざけているこの人はこんな言葉を最高に鋭い目でぶん投げて来るんだ。
そんなMCされたら彼の音楽を彼の人生ごと愛し続けるしかないじゃないか。
あなたの舞台を、ステージを、生き様を、幾度となく見届けるしかないじゃないか。

ありがとう、中原くん。
最高で最強なあなたの音楽に、
私は二度と解けない音楽の魔法を見たよ。
心の中で叫んだ「禁断少女」の魔法の言葉もどうかあなたに届いているといいな。



▷  井上緑ONEMAN LIVE


このライブの最後をのステージを担う彼の姿が見えた。明らかに変わる会場の空気、匂い、緊張感。

自粛前と変わらない「つぶやき」のSEを背にステージに現れた井上緑が纏った全ての空気が今夜だけの特別だった。


「 サボテンの育て方 」

久々のライブだというのに彼はとてもリラックスしているように見えた。
柔らかいAメロに見合う、柔らかくとても優しい笑顔を口元に浮かべながら。
歌うことが楽しくて仕方ないという思いが手に取るように伝わってきた。

ああ、緑さんの声だ。やっぱり最高の声だ。
大好きでずっと待ちわびていた井上緑の声だ。

染み入る歌声に思わず涙が出そうになった。
しかしその涙はサビに差し掛かった途端にどこかへ行ってしまった。

サビで張り上げた緑さんの声量が、今までと明らかに違う。声量も声の響きも熱度も、明らかにパワーアップしていた。


「歌いたかった、ライブがしたかった、この時をずっと待っていた。」


そんな悲痛とも思えるような叫びが今にも聞こえてきそうだった。
今まで聞いたことのないような歌声だった。

1サビ終わりに思わず拍手をしてしまった。
長い長い沈黙を破った彼の歌声は、それほどまでに衝動的だった。


「  以上です。」

緑さんのライブの感想を書き殴る度に言っている気がするが「以上です。」はライブで聞く度に心臓を鷲掴みにされるような痛みと感傷が身体中を駆け巡ってどうしようもないくらいに居た堪れなくなる。

この歌がまるで自分のことを歌っているように感じるからだろう。そしてこの時期にだからこそ響く歌詞がこの曲にはある。

周りを信じれるほど
明るい話がひとつもないじゃん
探せば探すほど みんなを嫌いになっていく

コロナ禍で世界中が不条理と自分以外に対する疑心暗鬼に包まれている世の中、そんな世の中だからこの言葉がより一層身に沁みてしまう。
私の歌や歌詞の感じ方は、自分が直面している環境や状況に左右される。
だからこの言葉を歌う緑さんはいつもより世界に喰らいついているように私には見えた。彼はこの時代の不条理を、渋谷の小さなライブハウスの深淵から声の限り叫んでいた。


「 行方 」

この曲前のMCで、緑さんは「ありがとうを歌詞にできない」と語っていた。
ありがとうくらいは自分の口で伝えたい、でもそれでもこの曲だけは唯一「ありがとう」という言葉を使った。この曲を歌うのは久しぶりです。だってしんどいから。でも久しぶりに歌います。

そんな心のままを曝け出したMCで始まった「行方」

特定の歌を歌ったり、聴いたりすることにとてつもないしんどさみたいなものを感じる心境はとてもよくわかる。
私もひとつ前に挙げた「以上です。」や「前夜」などを気軽に聴くことができない。それはこの如何にもこうにもならないしんどさから生まれる感情のせいだ。

まるで自分のことを歌っているような気がしてしまうせいだ。


緑さんの歌の一つひとつは、まるで短編映画のようだと思う。
時には夢に向かう青年たちの物語だったり、恋する少女の一編だったり、遠距離の恋人たちのもどかしい夜の物語だったり、挫折や弱さを嘆く若者の人生だったり。

歌の中で、歌詞の中で、登場人物たちがそれぞれ生きている。
そんな鮮明すぎるまでの物語性が緑さんが歌う歌の魅力だと私は思っている。


だが、この「行方」と「前夜」だけは他の曲と少し違うように見えるのだ。
緑さんの曲の中に生きる人物にはそれぞれ顔がある。そしてこの曲には、この2曲の中だけには、はっきりと井上緑の顔が見えるのだ。

井上緑が見た朝が、夜が、絶望の中に見た光が、
生々しいまでにはっきりと見えてしまうのだ。

それくらい、彼自身の感情が鮮明に投影された曲なんだろう。
切なくて、脆くて、愛おしい。
今日も変わらず、井上緑が見ている景色は眩しいほどに美しかった。

いつかこの声で、ありがとうを伝えることができるかな。
あなたの歌にこんなにも救いをもらっていることを伝えることができるかな。


「 ヨワムシのウタ 」

アンコール、この日ラストの歌。
私が井上緑の曲を映画のように感じる最たる曲。

歩道橋も、笑い泣き合う男女も、夜の匂いも、
全てが緑さんの歌声に乗って、映像になって脳内へ流れ込む。
少し寒い、青い夜が浮かぶ。

せめて ここでは 君の前では僕は、僕は。
格好いいのさ、格好いいのさ
格好いいのさ、格好いいいんだ。
こんな弱い、こんな弱い 
僕だけど。

ライブというものから長い時間離されて、忙しなく巡り巡る日常の中に埋もれかけていたことがこの時はっきりと見えた気がした。

やっぱり私はライブハウスという場所が好きだ。
音楽が在るこの場所が好きだ。

だってここで歌ってるこの人はこんなにも美しくて、かっこいいんだから。
弱くて眩しくて優しい世界を描くこの人は、こんなにもかっこいいんだから。

今の自分の感情を確かめるために、何よりもこの曲が聴きたかった。
最高のエンディングだった。
心から、心の底から拍手を送った。
そうすることしか、できなかった。



▷ ▷ 


11月2日、或る月曜日。
私は渋谷のライブハウスで3つの物語を見た。

小説のような、舞台のような、映画のような、それぞれの人生の物語を見た。

彼らの生き様を、
衝動を、音楽を、
幾度となく読み返すように、

私はこれからも、ライブハウスに足を運ぼうと思う。
ライブハウスと共に生きていこうと思う。

優しい小雨が降り続く、
眩しく美しい夜の出来事だった。

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