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嬉しい時に、人は泣く

それは、3日前のことでした。

地域包括支援センターに電話をしたのです。すると、声が詰まって言葉が出ません。

聞こえてきたのは、自分の泣き声でした。


流行り病に罹って

8月10日、わたしが罹患した2日後、母もまた、567に罹患しました。

わたしの発熱は3日間。その後、回復しました。ところが、88歳の母の熱が下がりません。

いつまで経っても37.9℃を行ったり来たり。

ちょうど第7波のど真ん中。

どうしたらいいのか、だれに頼ればいいのかわかりません。

わたしの567は特に問題など無かったというのに、母の567は違いました。

いつもは大学病院に通院していますが、567は別です。母の持病の心臓の先生には繋がりません。この時期の発熱患者は特別なのです。

どこに電話しても繋がらない、そんな日々を過ごしました。

それから一週間が経過した頃、ようやくご近所のクリニックの電話診療でで、567とみなしてもらえ、保健師さんに届けてもらえました。

これで、公と繋がれた、そう思ったのです。

そして、13日後、保健師さんにいわれます。朝、36℃代に下がるのなら、もう567ではありませんと。

確かに抗原キットを購入して調べてみると陰性です。

な~んだ、もう治っていたんだと喜ぶやら、ほっとするやら。


先生が見つからない

けれど、どうした訳か、やっぱり熱が下がりません。

保健師さんには、「ご心配なら近くのクリニックへ」と言われます。

けれど、「発熱中はタクシーには乗れませんよ」とも釘を刺されます。

足の悪い母は、近所のクリニックまで歩けません。

それでも、きっと、往診して下さるドクターはいらっしゃるはずと探すのですが、どうしても見つかりません。

第7波もそろそろピークを過ぎ、徐々にいろいろなところに電話が繋がりはじめました。

けれど、見つかりません。

みなしの567と診断して頂いたクリニックの先生はたったお一人。その距離では伺えませんといわれ、もちろん、それはわたしにもわかります。仕方ありません。

諦めず、ご近所のクリニックを尋ね歩きますが、たとえ往診と書かれていても、「当院は寝たきりの患者さん専門です」といわれます。

そんなことを繰り返しているうちに、一か月が過ぎてしまいました。


人の優しさ

母は既に要介護一の認定を2度頂いています。

最後の認定は、手術のための申請でした。けれど、手術をしなかったことで、その認定はすでに有効期限がきれてしまっています。

それでも、もう、どうにも探せなくて、地域包括支援センターに電話してみたのです。

すると、電話が繋がり、事情をお話しすると、直ぐに一言「それは、大変でしたね」といわれたのです。

わたしは返事をしました。

「はい、本当に大変でした」と。

ー--

ところが、出てきたのは、嗚咽でした。

ー--

言葉がでません。

ー--

代わりに出てくるのは涙です。次から次へと涙がこぼれてくるのです。

どれほど電話したことでしょう。
どれほどクリニックを訪ね歩いたことでしょう。

けれど、一度も、たった一度も、そんな優しい言葉を聞いたことは無かったのです。

そりゃそうです。皆さん、とてもお疲れなのです。母よりもっと重篤な方がたくさんいらっしゃるのです。

けれど、「それは、大変でしたね」は、まるでわたしのたどったこの一月をすっかり分かった人の言葉に聞こえたのです。

熱が下がらない、症状はたったそれだけ、たったそれだけなのに、それが気になって仕方なかった。


知っておくこと

わたしは、2022年の8月をきっと忘れません。

暑くて、とても暑くて、たいへんな夏でした。

そして、繋がっておくこと、介護を始めて切実に思ったのです。

地域包括支援センターとは繋がっておく、それは絶対でした。

専門の知識と、地域の繋がりと、医療との繋がりをもった最強の場、それが地域包括支援センターでした。


そして、2022年、秋の入り口、わたしはようやく繋がるべき人と繋がれました。

「大変でしたね。あと一月は、きっと同じような症状がでますよ」

昨日、往診してもらえた先生に、母は優しく言葉をかけてもらっていました。

たったその一言が、母もわたしも聞きたかったのです。


介護に携わる皆様。

そして、医療従事者のみなさま。

本当に、ありがとうございます。


最後までお読みいただきありがとうございました。


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