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人は「考える」を手放すのだろうか


今、わたしの中の情報革命は、きっと若者から2周遅れ位なはず。

今年、約3か月かけてWordpress上にHPを作った。若い人ならちょちょいのちょいで完成させる代物だ。そんなものに向かってわたしは幾度も癇癪を起しながら、ようやくシンプルなHPを作った。気が狂いそうに面倒なことばかりだった。

それから春には新しいプラットホームでの活動をはじめた。けれど、だいたい初めましての場所では笑っちゃうほど失敗ばかりする。今もまだ失敗の更新中だ。


そして、ようやく昨日からChatGPTについて調べ始めた。こうした情報は普通に耳にはするけれど、まだわたしにはその言葉が一つも引っかからない。

そこで雑誌を買ってきた。週刊東洋経済特大号(20230729)。これはChatGPT特集で。しかも今さら聞けないという枕詞付きだ。

気になったところをいくつかピックアップしてみると、

◆ChatGPTは米グーグル社が開発し、いまは米メタや日本企業でも開発中

◆GPT3~3.5~4と進化中で、最新のGPT4には言語だけでなく画像もある

◆ChatGPTが学習したのは2021年9月ぐらいまで

とある。もうすでに歴史があるのか〜と思った。ただ、この情報収集が何年から始まっているのかの記載はなかった。


わたしが怪しいぞと思っていたのはセキュリティ。自分が楽しんでいろいろと書いたものがAIに持っていかれるなんてちょっと怖すぎると思っていた。

ところが、ちゃんと対策は講じられていた。どうやら「chat history & training」をオフにすると、自分が入力した内容をAIが学習することはないようだ。ふむふむ。


あとは、アプリ選び。

こちらは驚くほどの種類がある。まあ、ここはアプリ評価で好みのアプリを選択するのがよさそうだ。


わたしはこのChatGPTを英語学習に使ってみたいのだ。英会話にだって使えるらしい。まだ思考の段階だ。この辺りが若者との違いだと思う。疑い深い上に、もたもたとする。


こうしたAIを起動させる時には実装という言葉が用いられる。まさに使い方は人それぞれ、ということだろう。蓄積された言語を、あなたはどう使いますか?ということだ。

考えてみると本当に新しい。


こんなふうに、新しい世界で世の中を引っ張って行く人の言葉ばかり拾っていると、それがだんだん普通のことのように思えてくる。

そこに面白いインタビュー記事が掲載されていた。知の巨匠と呼ばれるイスラエルの歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏だ。


彼は、言葉の力についてわたしたちに恐ろしく多くのことを教えてくれた人だ。

人が他の動物より抜きんでて強くなったのは言語を使うようになったからだと彼は語っている。

人々は一つの言葉で何かをイメージして、実際にはなにもないはずのものを信じて集まり、活動することで、他の動物より強くなったのだという。そこに書かれていたのが、本当は実体のない神話だったり、イメージの寄せ集めである会社だったり、法律だったり。そんなものを共有することでわたしたち人類は文明を築いてきたというのだ。


その彼が、この雑誌の中で警鐘を鳴らしている。

彼はAIが物語や音楽、法律や宗教を生み出すとき、人間は主体性を喪失すると語る。

だからこそ今、テック企業はAIが知性を持つことの危険を認識する必要があるという。そのうえで新しいAIツールを市場に出すべきだと言っている。


いま、わたしはそのChatGPTを触ろうとしている。怖いなと思うこの気持ちはきっと人間に備わる危機管理能力の一つなのかもしれない。

とはいえ、物語をAIが書くその日ももう近いのかもしれない。

けれど、わたしはnoteではお勧めされてもまだ自分で文字を書きたいと思っている。上手く言えないけれど、ここだけは手放したくない。論文ならいざ知らず、自分の気持ちを含む文字を書く際に、AIが勧める言葉をチョイスすると、わたしはいずれAIに引きずられるようになると思えてならないのだ。

たとえ自分の考えやチョイスする言葉が平凡であったとしても、わたしはそもそも標準化という文字が苦手なのだ。わたしたちには経験するという時間の幅がある。自分だけの時間軸で経験してきたことや感じてきた思いはそれほど弱くはないはずだ。

AIの進化に追い立てられながらも、自分のために時間を使い、ゆっくりと考えることが、逆に時代に逆らう強みになるのかもしれない。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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