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イブの夜だけれど。歴史とその描き方 鎌倉殿の13人


日曜の夜は余裕がなく、毎回一週おくれて大河ドラマを観ていた。今日は最終回。ついに終わってしまった。

子どもが大きくなり、いつの頃からか我が家のクリスマスは少しだけ贅沢なシャンパンを添えた軽めの食事が定番となった。2022年夫もわたしもあわただしかった。ただそれも昨日まで。きょうは夫婦で賑やかな街にくりだし夕方からのんびりと大河ドラマの最終回を観た。

伊豆も鎌倉も馴染みのある場所だけれど、このドラマでその地のイメージが変わった。北条家に対してもそう。かの公家の藤原家とは違い、伊豆の国市辺りの武士が鎌倉を引っ張って行く。このドラマではその北条家の家の中をみせてもらった。

歴史は史実をどう読み解くかで人の見え方が180度変化する。このドラマでは日本3代悪女といわれた尼将軍北条政子が慈悲深い人として描かれていた。小栗旬演じる主人公の義時の人生の重さもずしりと伝わってきた。

組織のトップには歴史好きが多いという。このドラマでは義時の孤独なトップ像が実に鮮やかに描かきだされていた。

そのトップの孤独とはいったい何なのだろう。決断の際、たよれるのが自分自身しかいないということなのだろうか。

このドラマをみていてトップの孤独とは情報にあるのではと感じた。

トップに入る情報の大半は側近からのもの。けれどそこに真実がなければその嘘やバイアスを見抜くことは容易なことではない。

恐らくこうした階層社会では下の者ほど人を知るのではないだろうか。格下に対して人はをだす。だからこそ格下の人には人がよくわかる。トップに対しては誰も格下に見せるような素はみせない。そこに嘘やバイアスや企てが入り込むと読みにくい。

きっとそれはどの時代も、どんな組織も変わらないはず。

トップはその限られた情報で判断を下す。

主人公の北条義時はその人間模様に苦しみ抜いた。そしてその人生を生き切った。このドラマでは彼がここで彼の人生を受け入れたのだと思わせるシーンが幾度かあった。人の上に立つ人は多かれ少なかれそうした経験を超えていくのだろう。

イブの夕方、わたくしを離れた人生を生き切った一人の武士の最期を観た。

やはり歴史は面白い。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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