続けて、よかったと思ってる。
もう8か月が過ぎた。
noteを毎日書くだなんて、去年の今頃までは、やってみようなんて思ったことさえなかった。記事を一本書くのにさえ四苦八苦していた。毎日書いている人は特別な人だと思っていた。
けれど、今、もう250日以上書き続けている。
人にはタイミングがあるんだと思う。
あの時にはできなかったことが、今は普通にできる。今はそんなタイミングなのだ。
夢を追いかけて挫折して、また立ち上がって、また挫折して。もういいやと思った頃に、ひょいとその夢が叶うことがある。
嘘でしょ!と驚くけれど、それだっておそらくはタイミングなのだ。
それが、たとえば透明の細長いトールビーカーに、ショッキングピンクの液体が入っていて、夢の目的地までそのピンクの液体がグングン上がっていくとする。それが見えればいいんだけどどうしても見えない。
で、見えたら笑っちゃうぐらいまだまだなの。
それなのに、わたしときたら、わたしこれほどやったのにどうしてわたしだけ上手くいかないの・・・と挫けてしまう。でも、外から透明のトールビーカー見たら笑っちゃう。だって、まだまだなんだもの笑。
そう、まだようやく半分過ぎたとこ。
だからやりたいことがあるのなら続けてみるのがいいんだと思う。
だって、ほら、もう直ぐそこに、叶えたい夢があるのだから。
2,3日前、新聞で村上春樹さんの新刊『街とその不確かな壁』に関するインタビュー記事を目にした。たしか、2月か3月の新聞だった。
記憶が頼りで申し訳ないけれど、しかも、わたしは村上春樹さんの本は『ねじまき鳥のクロニクル』で終わっている。というか、そこから読めなくなった。
それでも彼が偉大な作家さんだというのはわたしにもわかる。
その大作家の彼の中にも、書いた本を頭の中に並べてみると、どこかの段階で、その本のステージが上がる時があるようだ。
この『街とその不確かな壁』は、今なら書けるとようやく思えたのだという。
これほど書くことを続けてこられた大作家でも、まだ書けないものがあるという。彼にだって、ショッキングピンクの液体が夢に向かって増えていくことがまだあるってことだ。
それが越えられたのは、いくつか前に書けた本があったから。そこを超えて歩いてきて、そして今なら書けると思えたのだそうだ。
続けていくことで、大作家でも成長するのだという。
そして、わたしは、
noteがあって良かったとよく思う。
noteがなかったら、文字なんて書いていなかっただろう。
noteがなかったら、向き合えない部分を抱えたままわたしは生きていただろう。
書くことは考えることで、
書くことは自分の中にあるものを吐き出すことで、
書くことは分からなかったものを自分にわからせることで、
書くことは成長すること。
そして、続けることはまだ知らない自分に出会えること。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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