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ギフトという考え方

※こちらの記事は本日謝って削除した記事です。一度削除した記事は筆者のみ閲覧可能となります。こちらは改めて同じ記事をアップしたものです。


☆ ☆ ☆


あなたは気付かないところで誰かが自分のために動いてくれていた、そんな経験をされたことはないだろうか?

今日、わたしはそんな話を間接的に耳にした。

驚き、そしてその方に深く感謝した。

これこそがギフトなんだと思った。



客観と主観

今朝6時過ぎに散歩に出かけ、小走りで横断歩道を渡ろうとしたとき、プチッという何かが切れた音がした。途端に歩けなくなった。

午後病院で肉離れと診断された。その病院での待ち時間わたしは本を読んでいた。

それが既にご紹介した読みかけだったこちらの本。


ここには、科学だけでは証明できないものがあると書かれている。

人間には客観的な科学・工学・数学・理論とは別に、主観的な宗教・神話・芸術・感性の両方が必要なのだと。

前者ばかりが見えている人は、人生に意義や意味を見出せず、生き方に迷い、幸せを感じられないとある。


相互の関係から離れた「祈り」

この本で筆者は、宗教を3つの括りで説明している。

イスラエル周辺のユダヤ教・キリスト教・イスラム教(レバント系=一神教

インドのヨガ、ヒンズー教、仏教。

中国の孔子。

②は真我を発見することが目的。そのため神とではなく、自分自身との関係を説いているので、その中心的な行動は「瞑想」であると。

③は社会と自分の関係を説いていて、中心的な行動は「奉公」。君主、親、先祖に対して自分はどの立ち位置にいて、どういう責任を持っているかを説明しているから、そこには祈りも瞑想もない。

つまり、②と③には「祈り」がない。

けれど①のレバント系は自分の外にある神のような崇高な力との関係性を確立することを目的としているため、その中心的な行動は「祈り」であるという。


意識と無意識

そして先のレバント系外の力と繋がると書かれている。

どのようにして?

それは人間にある無意識を通して。

著者はこの無意識の力が実は計り知れないものだという。たとえば脳科学者によれば、無意識の情報処理能力は意識の処理能力の22万倍あるという。

さらにこの無意識は、自分の意識を遥かに超えた領域であり、その領域がわたしたちの日々の問題解決にインスピレーションを与え、わたしたちを助けてくれているともいう。

また心理学者のユングは「無意識は人間の外にある」と説いているという。なんと。その無意識を著者は、自分の意識を超えるはるかに大きな力であり、そうした力を人間は活用することができるともいう。


ここでわたしは以前お話ししたマザーテレサの映画のワンシーンを思い出すのだ。

インドに住むマザーテレサがイギリスに住む女性に「祈って下さい」とお願いした。そこからイギリス人女性が大勢の信者たちに呼びかけ一斉に祈った。

内側にあるはずの無意識、それが人間の外にあり、その領域へ沢山の人々の祈りが届くことで、それが計り知れないパワーとなってインドに住むマザーテレサを救う力となった、そんなふうに読み取れるのではないだろうか。



わたしはキリスト教信者ではない。けれどもしもこの「祈り」がこの本に書かれているようなものなのであれば、それは素晴らしいと思う。

「祈り」は人を自由にするだろう。

著者は、キリスト教が誕生する以前の宗教について、当時は「義務や責任」に重きを置かれていたと説明している。そのため人は良いことをしてもそれが単なる過去の業に対する義務や責任となり、罪の代償になるだけだったというのだ。

ところが「義務や責任」とは違い、自分の自由な意志で人に仕えるという行為はになるという。

この愛の行為とは、その人が単にそれをしたいがためにする行為のこと。そこには義務も責任もなく、あるのはだけなのだという。



ギフト

わたしは今日、とある方からギフトを受け取った。そのギフトのことは送ったご本人から聞いたわけではない。第3者から聞いた話だ。その方はわたしの仕事が進むよう手助けをしてくださっていた。

心が熱くなった。

そう、その行為は義務でも責任でもなく、人としての愛だったのだと思う。

感謝しかない。

この本には、AがBにギフトを上げることは、Bに負債を負わせることではないとある。それは返すべき借金でもなく、Bを所有するための支払い金でもない。単なるギフト、プレゼントなのだと

それをAがあげてBが受け取って、それで終わり。

その後、BがAになにかをあげたとしても、それは返済ではなく、新たなギフトやプレゼントなのだと。

自由に差し出し、自由に受け取る。そこからはプラスしか生まれない。それが「神の数学」なのだと。


おわりに

たまたま病院で一冊の本を読んだ日の夕方、わたしのために動いて下さった方の話を第三者から聞いた。

これは偶然だったのだろうか。

わたしは今、人と繋がりたいと強く願っている。一人では何もできないことを十分に知ったから。同時に限界はないという気もしている。一人ではできないことも人の力を借りて神の、人の外にある無意識の力を借りてできる。以前はそんなことを考えたこともなかったけれど、今はそう思っている。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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