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行動の先にあった変化
先ほど記事を書こうと思ったらnoteの画面に突然お知らせが現れた。
抽選でnote AIアシスタント(β)に選ばれました
なんて書いてある。
ついにnoteがAI化?
テンプレートが現れた。ふむふむ。そこに書きたい内容のタイトルを入力してみた。
するとクルクルと暫く考えたのちAIが数行の短文を書きはじめた。わたし向けのティップス。ワオ!面白い。noteが変わろうとしている?!
DX化で人がnoteを書かない時代へと移行???なんて思ったりした。人工知能が人間を追い越す日、それをシンギュラリティというらしい。
今日はたまたま『DXの思考法』(冨山和彦解説、西山圭太著 2021 文藝春秋)を読んだ。日本企業のDXの遅れがそうとうにまずい状況にあると書かれていた。
標準化の意味
このDX(デジタルトランスフォーメーション)は、単に企業をデジタル化するという意味ではないという。経営そのものを改革する必要があるという。
そのために変わるべきは経営陣。考え方を変えなければ会社の仕組みそのものは変われない。
中でも問題があるのが企業のシステム。標準化から離れ、各社ごとのシステムに変形しているという。欧米ではそれは考えられないそうだ。
日本では標準的なシステムに自社好みの付属を付けていく。こだわりすぎてシステムがどんどん膨らむ。これが世界から眺めると可笑しな方向に向かう日本企業の形だという。
プラットホーム化を目指す欧米。だからこそ標準化が必要であるという。
これまでもこの社会ではちょいちょいそんなことが起こってきた。
それじゃかつてのガラ携になっちゃうよ、先進国に置いていかれるよという話だけれど、それだけじゃなく、発展途上国にも抜かされちゃうぜ、というお話でもあった。
システムが立ちいかなくなる、それを2025問題というのだそうな。もうすぐではないか。
なんてこった。
これまでとは違う考え方
単なる小手先の変化ではDXは上手くいかない。標準化からその先へ行かなきゃ話にならないという。単純に変化や進化じゃ駄目なのよということらしい。そう、
企業に今必要なのは、変化や進化ではなく変革
そしてこの変革、わたしにも少しだけ分かるのだ。
わたし自身はフリーランスになって以降、目に見える形では2022年10月からnoteとスタエフの毎日投稿を続けている。そこで不思議と視点が変わった。動き続けたことで何かが変わった。
最も顕著に変わったのは手放すべきものが見えたこと。限られた時間で動くからこそ選択を迫られる。できることとできないことがある。だから都度立ち止まり手放すものを考え再び動き出す。
そんなことを繰り返してきた。
ここで手放した大きなものといえばスタエフにかける時間だろうか。
スタエフは時間をかければかけるほど綺麗に育つ小さなコミュニティ。けれど残念ながら今はそれができない。だからかける時間の大半を泣く泣く手放した。
小さくても変革
一度立ち止まり振り返ることは今のわたしには意味のあることだと思う。
スタエフ時間を手放したことで、それまで見えていなかったプラットホームの特性が見えてきた。スタエフに時間をかけていた時には、どこか近視眼的だった。近くの点しか見えなかった。面や広がりが見えなかったのはそこに留まりすぎたからなのかもしれない。
今もスタエフは大好きだ。手放したのはかける時間のみ。けれどそれを手放したことで、もう少し広い世界が見えてきた。
そして空いた枠に新しいことを追加した。来月から新しいプラットホームを開設する。今はその資料作りに取り掛かっている。
動き続けることは失敗することでもある。けれどその失敗で気づくことは多い。失敗を重ねてきたからこそ目標が絞り込めた。しかもそれは昨年の春に考えていた目標とはまるで違うから面白い。
自分でもその変化に驚いている。きっとわたし自身が変わったのだろう。選択と集中を繰り返し小さな変革が起こった。視点が変わると見える世界が変わる。今は点や面を離れ小さな空間が見え始めている。
おわりに
動き続けたことで見えていなかった目標が見えてきた。もちろんそれが形になるのか否かはまだわからない。
それでもそれは変化でも進化でもなく小さな変革だと思っている。自分の中で何かが大きくがらりと変わった。
行動し続けることはそんなことだった。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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