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日本の働く女性の声が届きにくいわけ


先日、労働組合について書いた。

とにかく忙しい日で、それでもnoteだけは書きたくて、だから気になっていた雑誌の記事を使って慌てて文章を書いた。

それが米国のリストラ組合潰しから見えてくる労働組合の話しだった。



言葉に救われる

そうしたらメッセージが届いた。

noteからもスタエフからも。

驚いた。

書きたいことがあっても書けずにいることなら山ほどある。わたしの書きたいメインテーマは女性の働き方。けれどそれはかなり抽象度の高い括りでもある。ゆえに、伝えたいことは山ほどあるものの、その切り口がなかなかみつからない。

そんな時コメントをいただき、あれれ?ここが切り口となって何か書けるのでは?と思った。偶然慌てて書いた記事がちょっとしたヒントになった。

ならば、労働組合を入り口に、女性の働き方について数回に分けて深堀してみたいと思った。



急場の小組合より大きな組合

ところで、組合という言葉がいきなり目につくようになる時がある。

たとえば米国のテック企業で大型リストラがはじまった時。米国ではメールで解雇通知が送られるなど経営側がとても強い。だから事が起きると、とてもじゃないけれど個人では戦えないことに気づいた人たちが、慌てて組合を作る。

それに引き換え、どっしりと定着しているのが欧州職業別組合産業別組合。こちらは強い。事が起きた時、国中の労働者が直ぐに繋がる。確かコロナ禍で、ある国でごみ収集をする人たちがストライキを起こした。そんな時、恐ろしいほどの数の仲間が集結し声を上げる。これは米国では時々見かけるけれど、今の日本ではほとんど見られない。

そして、急遽作られる組合というのは残念ながら弱い。使用者側が個人を切り崩していくと、社員でいることも、集団で交渉することもできなくなる。もちろん日本のように企業内に組合がある企業別組合も経営側寄りに進む。



なぜ日本女性の立場は弱いのか

ここで日本の女性を組合の側面から考えてみると、先進諸国の中の日本女性の儚い立ち位置がみえてくる。

たとえば欧州では、働く女性がしっかり守られている。なにしろ欧州では職業別組合や産業別組合がしっかり機能しているのだ。

米国はどうだろう。米国の労働組合率は日本より低い。1970年の規制緩和で組合なしでも大丈夫な会社がかなり増えた。けれど米国の労働市場では男女平等がかなり達成されている。だからたとえ組合で守られなくても、女性だけが一方的に不利になり、それが放置されることは考えにくい。

じゃあ日本はどうだろう。残念ながら、日本企業の組合のほとんどは企業内にある。これでは働く人と使う側は対等とはいえない。しかもこの国では労働市場で男女平等が残念ながらまだ達成されていない。それはつまり、日本女性の場合、絶対に守ってくれるという組合もなければ平等もないということになる。これは厳しい。



人が取引対象になる契約

こうした労働組合が誕生したのは産業革命時代のこと。古い話しだ。19世紀のことは映画などで目にするけれど、実に劣悪な環境で人が働いていた。

その彼らは契約を交わして働き始める。

ただその労働契約は働く人そのものを取引の対象にする側面を持つ。ものによっては、長時間過酷な状況で低賃金で働かされ、健康のみならず命まで落としかねない。

だからこそ、働く人そのものを取引の対象にする契約から個人を守るために考え出された権利がある。それが集団で力の強い経営者側と交渉する権利。

個人の自由な契約に、人間的保護を与える。そのために生まれたのが、労働者が団結して使用者と団体交渉をしてストライキなどをする「集団的自由」であり「集団的保護」だ。

これが欧州を中心に作られ、人が取引体対象にならないように力が働くようになった。

これほど労働者とは弱者なのだ。どこかで守らない限り、使う側には絶対に勝てない。

※参考図書:『労働法入門』水町勇一郎 2016 岩波新書


おわりに

労働組合から女性の働き方について考えてみた。どうにも言葉足らずだけれど、それでもわたしたち日本女性が先進諸国の中で際立って平等からかけ離れているのには、こうした理由もある。

労働組合は特に日本では、今はもう誰も振り向かない。けれど働く個人が不利益を被っている時にきちんと交渉できるのは労働組合だ。そこが無ければ泣き寝入りか、裁判に訴えるしか道がないということになる。

何が自分達を守ってくれるものなのかを知っておくことはとても大切なことだと思っている。


つづく


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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