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大人が学ぶって簡単じゃない。でも恐ろしく得るものがある。それがリカレント


時代は学び直しを求めている。

時代が変わるのだから、あなただって変わってねという。

ただ、それだけじゃないとわたしは思っている。

大人の学び直しには思ってもいなかったいいことが付いてくる。


リカレント

大人が学ぶなんていうと、モノ好きね~~なんていわれる。

けれどわたしは自分の可能性を諦めたくなかった。主婦でパートで働くママ。わたしは一生たったそれだけで朽ち果てたくはなかった笑。

そう、わたしはちっとも幸せじゃなかった。

後悔ばかりしていた。

結婚ってこんなに窮屈だったのかと。

だからわたしの頭の中には一度は諦めた留学の、あの夢がずっと生きていた。

高校卒業して1,2年海外放浪旅をして大学に行く。働いてまた大学に行く。ママでも大学で学んでもう一度自分をクリーニングしてまた歩き出す。アメリカじゃそれがもう何十年も前から普通のことだった。

一度は諦めた夢。その夢がいつまでもくすぶり続けていた。


きっかけ

子どもの大学進学なら予算などそれほど気にしない。

じゃあ、大人の学び直しの予算は?

よほど余裕のある家庭ならともかく、普通は大人は働くもの

ー--

ただ、わたしは教育産業で働き始めた頃から大学に行きたいと本気で思うようになった。

子育てがひと段落して、子ども英会話の先生を経て、わたしは塾の講師になった。その塾では○○大学の学生や卒業生ばかりが働いていた。短卒はわたし一人。もちろん受験生なんて絶対に任せてはもらえない。

そんなところからわたしの大学受験願望はリアルに育ちはじめた。


計画

最も頭を悩ませたのが予算。夫に相談できる内容ではない。子どもの進学ならまだしも、40代のわたしが進学したいだなんて。

子どもはまだ小学校の高学年。夫は毎日深夜帰宅に海外出張ざんまい。家に居ない。

だからわたしはパートの費用を貯蓄した。

最初に働きに出た30代後半、まだ初月給も手にしていない段階でわたしは夫に宣言した。給料は私が使いますからと。

夫は驚いてちょっとムッとした。

けれどわたしは譲らなかった。

なぜって、夫はずっと会社だけをみて暮らしている。けれどわたしにはお小遣いさえなかった。使っていいよなんていわれてもそうそう使えるものじゃない。だから働こうと決めていた。

息苦しかった。もっと自由になりたかった。

そうしてわたしは進学費用を貯めた。


思わぬ苦労

限られた予算では選択肢はそれほど多くなかった。そこでわたしは国立大学の3年に編入した。

ただわたしの最終学歴は美大。その美大の2年間の単位は編入先ではほとんど認められなかった。仕方がないのでわたしは4年分の単位を2年でとった。恐ろしく忙しかった。予算がない。それだけはどうしようもなかった。

貧しくたっていいではないか。

けれどもっと悲惨なことが待っていた。

さっさと単位をとって塾講にもどるはずだったけれど、最初の履修登録で、それから入学後1週間目のレポート提出で泣いた。

パソコンなんて使ったことが無かった

発表はパワーポイント。エクセルで表計算やらグラフやらを貼り付ける。統計ではソフトを使って計算する。

なにがなんだかさっぱり分からない。

これじゃ本を読めない大人が大学に入ったようなもの。

惨めな思いなんて表現では追いつかない。あああああ…わたしは馬鹿だ…と何度も頭を抱えた。


変化

やがてパソコンにも慣れ、もっと学びたくなり大学院に進学した。

ただその時はもう虎の子は空っぽ。だから仕事を探した。そうして結局は夫に借りた学費はなんとか完済できた。

その大学生活で一番良かったことは政治哲学のゼミに入ったこと。

ジャンジャック・ルソーを読んだ。社会で働いてはいても、家庭を持って子どもを育てて、そんな作業の中に政治哲学など触れることさえない。

ただ、人には無くてもいいものがとてもためになることがある。

わたしの心にはルソーがとてもよく効いた。

それはわたしがこれまで過ごした時間の中で最も贅沢な時間だったと思えてならない。

わたしの中に一ミリも存在していなかった主権者意識が育ちはじめた。



おわりに

学び直しの時代だといわれる。岸田首相は大人の学び直しに5年で1兆円の予算を組んだよという。世界がガラリと変わる今、学び直しがそれほど求められている。

わたしの学び直しは当初の目的からは外れ塾講には戻らなかった。けれど以前なら気にもしなかったことが気になりはじめ、それを考えずにはいられなくなった。

そして思わぬ宝物も得た。夫と仲良くなれた。もちろん借金返済をしたからじゃない笑。夫とわたしの目線が同じ高さになったからなんだと思う。変化の激しい社会で暮らしてきた夫と、家と子育てとパートで生きていたわたし。二人には同じものが見えていなかった

あれほど仲が良かったのにわたしたちはみるみる分かり合えなくなった。それは夫だけのせいじゃないってことも分かった。それをわたしに教えてくれたのは学びだった。

わたしはもう一度糊付けされた白いシャツのように歩きはじめた。

留学しなくたって学べる。だからリカレントはわたしの希望だったのだと今では思っている。



※最後までお読み頂きありがとうございました✨


※スタエフでもお話ししています。良かったらお聞きくださいね✨


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