SNSで繋がることについて考えてみた。
昨年末、クラウドファンディングのプロジェクトオーナーとして動いた際、繋がるというこについて色々なことを考えた。
SNS中心のクラファンで分かったことは、一般社会よりはるかに情報が伝わりやすく、その拡散力は目に見えやすいということ。
そのクラファンには支援という壁があるため、特殊なプロジェクトでもあった。
そんな中、気になったことが幾つかあった。
動き出してみると、まるで選挙運動のようだった。支援していただくまでの過程と、投票までの過程が似ていた。なぜかと言えば、ご支援して下さる方の心を動かす理由が2つに分かれていたからだ。
ご支援くださった方々は、わたしの考え方に共感を覚えたという人と、プロジェクトオーナーであるわたしに支援をしたという2つに分かれた。まるで選挙のようだ。
そのSNSの世界は、よく無数の点を線で結んだ光で表現される。
その無数の光る線が、広いネットワークの中の無数の点と繋がり、広がっている世界。
今回、そのクラファンで、わたしは青い光の線と赤い光の線が繋がって伸びたイメージを抱いていた。青はわたしの考え方にご支援して下さった方々で、赤はわたし自身へご支援して下さった方々。
その中で面白い発見があった。
一般でもインフルエンサー並みのフォローワーさんをお持ちの方がいる。そうした方々は発信力が半端ない。だからお願いをするだけで、情報拡散力は絶大だ。
けれど、フォローワーの少ない方が影響力を持たないかというと、そうではなかった。フォローワー数を気にせずSNSで心地よく活動を続けている人の特徴は、小さなコミュニティでしっかりと交流されている。そんな方々には、おそらく考え方だけでない共通点がおありで、向きがかなり似ている。だからこそ、小さなコミュニティには、とてつもなく大きな力があると感じた。
それから、はっきりと思い出せなくて申し訳ないけれど、昨年、ソフトバンクの孫さんが、近くだけでなく、遠くに石を打っておけ、そんなことをおっしゃっていた。会社の経営が大変な時に、期待していなかった会社が上場して大化けした時のセリフだったと思う。
そのお考えは、まさしく今回わたしが感じたSNS内の広いネットワークが繋がっていく様のようだった。
今回は、緩く繋がっていた方が、驚くほど動いて下さった。
大きなネットワークを持たないわたしが動き出したことで、青と赤の光が次の点へ向かって四方八方に広がり始め、もうここでおしまいだと諦めた頃、緩い繋がりの遠い知り合いが、わたしの知らない人たちと繋がりはじめた。
その様子を眺めていたわたしは、たとえインフルエンサーでなくとも、コアなコミュニティを持つ人たちの影響力はインフルエンサーにも劣らない力をもち、その繋がりは、大きくジャンプしてゆるくつながっていた人達と遠くまで繋がっていくと感じた。
こうした青と赤の光を社会的なネットワークと呼ぶとするなら、わたしを知らない人が、人づてにわたしの考えや、わたし自身に対して、社会的なネットワーク上で協力をしてくださったことになる。
そこには、恐らく共感だけでなく個々の経験や環境や利他愛のようなものがあったのだと思う。こうして、SNS上で人と繋がることの可能性を、わたしは今回はじめて強く感じた。
そして、恐らくわたしの手を離れたところで多くの人が熱心に動いて下さったのにはきっと訳があったとも思っている。
SNSのネットワークは単なる人の集まりではないのではなかろうか。本人さえも目に見えない気づいていない繋がりがあるのではないだろうか。
現代は人が人に関心を持たないと言われるけれど、本当はそうじゃなく、人の心には愛や優しさや寛容さがある、こう考えると腑に落ちる。
だから、umiを助けたい、今仕事で悩んでいるあの人を助けたい、働けない女性を助けたい、妻を助けたい、社会を変えたい、そんなそれぞれの思いが連鎖反応を引き起こしたのではないだろうか。
わたしたちは、SNS上で誰に強制されることなくどこかに属している。
その多くが、自分と似た人のグループに人は属している。けれど、青と赤の光が自分の手を超えて繋がり始めた時、人と人の繋がりがまるで生き物のように動きはじめたと思えたのだ。
こうしたネットワークは一人ではできないし、わたし自身の限界を軽く超えたとも感じた。
そして、これもまだはっきりとは言葉にできないけれど、人々の心の中に良きもの、善のようなものを育てていきたいという思いがあることも強く感じた。
SNSで動いてみて、わたしはそんな青と赤の光が繋がり広がっていくイメージを抱いていた。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
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