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大人になって大学へ行くことはコンプレックス解消に役立つ?

こんばんは

お元気ですか?

昨日、noteで親しくさせていただいているかおるこさんに、音声配信スタエフのコラボにお誘いいただきました

でね、思うんです。ここがnoteの素敵なところだなって

noteではコメント欄を通じて何度もやりとりを交わしていくうちに、ちょっとした関係性が築けます。それは日常の友達とも違い、ゆっくりと知り合えて、互いを尊重し尊敬しあえる居心地のいい特別な繋がり

ですから、スタエフではライブもコラボもしないと決めていたのですが、そんな方からのお誘いです、もちろん断れません

そして、コラボ当日、準備なしの方が面白いかもなどとぶっつけ本番でおしゃべりして一つ反省したことがありました。それは話しが回りくどい笑 収録を後で聞き、あ、やっちゃった、と思ったのですが、まあ仕方ありません、きっとそれが性格なのでしょう。でも楽しかったので許してね

というわけで、その会話の中で気づいたのです。そういえば大人になって大学に入った経緯をまだnoteに書いていなかったかも…と

ずいぶんと退屈な話しばかりが続いていましたので、ここから暫く、違うお話しを書いてみようかなと思っています

まずは心の動きを

よかったらお付き合いくださいね



幾つかの視点を手に入れて

きっと誰にも、困りごとがあるとふらりと立ち寄る場所ってあるんじゃないでしょうか

わたしの場合、困りごとを誰かに語るより、本を抱えてカフェにいくことがすきなタイプ。そしてわたしの好きな彼らに共通しているのは、いくつかの人生を歩いているということ。だから同じ場所にとどまる人の口からは出てこないセリフや答えが出てくる、そんな気がするのです

たとえばわたしは30代、4年程海外でくらしています。よく思うのは、外に出てからの自分とそれ以前の自分はもう同じではないということ。知ってしまったこと、経験してしまったことはもう取り消せません。知らなかった自分には戻れないのです

それから、わたしは大学に行かなかった自分と、大学に行った自分の両方を知っています。しかもその期間はおよそ30年。大卒ではない人の感覚を30年持ちつづけ、そして約10年、大学を出た感覚をもっています

そんな、少しだけ人の動きからズレた生き方をしたことで、見えてくることがあると感じています

たとえばルソーがあの時代に旅をして農民から貴族まで会話を交わし何かを感じたように。たとえばV.E.フランクルがすぐそこに死があった時間を過ごし生還して生について語り出したように。たとえばハンナ・アーレントが国の枠の外側に放り出されて国の外側の人について考えるようになったように。そうした人々の中には、まだそのことを自覚していなかった頃のその人と、新しい世界へ行き、あるいは新しい場所へ流されて、やがてそのことを言語化しようともがく人とが同時に生きています

スタエフのコラボで、かおるこさんが、少し俯瞰したものの捉え方をしているとおっしゃってくださったのは、きっと少しだけ人とはズレた生き方をしてきたことが与えてくれた目線なのかもしれません



コンプレックス

人はどうしてコンプレックスを抱くのか、そんなことをかつてよく考えていました。コンプレックスは時に自分を引き裂きそうに動き出します

わたしはまるで、いつか大学に行けと言わんばかりに、いろいろな人に学歴についての評価をされてきました。どんな評価なのかといえば、自分をどうしても証明することができない、そんな気分にさせられるもの。そんな時、わたしはなにか大切な証明書をもたないまま生きている、そんな気分にさせられたものです

それはしかし流れて消えていくものではなくて、徐々に澱のように体の中に留まっていくもので、どんなに笑っていても、どんなにその人のことを好きでも、なにかが欠けた自分、そんな自分を見つけて立ち止まるのです

だから大学に行こうと思ったかといえば、そこまでは思えないのです。どちらかといえば、自分などはどこにも入れてもらえない、そんな気分にがんじがらめにされていました

ただ、そのコンプレックスがちょっとだけ動き出す瞬間があるのです。それは人が評価するほどには自分は愚かではないのかもしれない、そんなことを感じられた時。きっと、だからわたしは働くことが好きなのです。働いているとき、自分が人より劣るとは思えなかった。残念ながらそれを証明することはできないのですが、それでも誰かの役にはたてている、そんな実感が常にありました

コンプレックスとは、本当は持てたはずのものを持っていない、そのことを他人以上に自分自身が受け入れられず、自分をチクリチクリと否定する、そんな状態のことをいうのだろうと感じてきました



それが準備期間

少し逆説のようですが、そんなコンプレックスは人にとってエンジンのようなものだと思うのです。徐々に溜まってきたコンプレックスに耐えかねた時、わたしは実際に暮らしの中でその大元を退治しようと動き出しました

もう40代。だから本当はもうこだわる必要などなかったのです。けれど、分かったのです。今動かなければきっとわたしは70歳になってもこの自己否定のわなから逃げられないだろうと

きっと、この自分を裁く力がなければ、わたしは呑気に年を重ねていたはずです。けれど、知らないことをそのままにしておけない面倒な気質。現実には、塾で講師として働く身、大学ぐらいは出ていたいもの。それでも、仕事に必要な資格以上に、大学へ行くことは、わたしの人生にとって大切なものになっていました。だから動き出したのです

そう、コンプレックスがコップ一杯になって溢れてこぼれ出た時、わたしはようやく頭の中にあった考えを行動へと移しました



結びに

大人になって大学に入り、子どもと同じ世代の若者のと机を並べて学ぶこと、それはわたしにとって確認作業のようなものでした。大学を卒業している人は、こんなふうに学び、ゼミに入り、ゼミ合宿に参加し、卒論を仕上げ、卒業式にでたのかと、それがリアルに体験できたのです

そして、大人になって大学に入ると、人は抱えていたコンプレックスを手放せるのでしょうか。その答えは、わたしの口からはYESです。ほんとうに大差はありません。けれど、自分を苦しめていたのは知ることと知らないほんの僅かな差だった、そのことに気づけたとき、わたしは大いに安心を得ました。

ですから、大人になって大学に入った人はそのコンプレックスを手放せる、そして、過去の自分と同じ境遇にある人にそっと手を伸ばせる、そう思うのです

異なる時間と空間を生きる、それはとても大切なことなんじゃないかと思えます。2つの世界を生きることで、人は誰も笑えない、誰も傷つけない、そんな知恵を手にすることができるのではないか、そして、それは少しだけ豊かで贅沢な経験でもあると思っています




☆   ☆   ☆   ☆   ☆


ご本人に確認して、昨日のスタエフのコラボを貼らせていただきます。長いです。お時間のある方は聞いてみてください😊

ちなみにかおるこさんは、noterさんで元教員。知り合った当初から、発想が似ているなと思っていた方です。彼女も働き方や生き方に関心を持たれていて、さらにnoteでは、かつてご自分が経験されたからだと思うのですが、教員が抱える悩みを吐き出す場があったらと、早くから先生限定のお部屋を設けられて活動されていました。今はお休みされていますが、その活動もいつか再開されるかもしれません。現在は主にスタエフでご活動されています。liveもよくやられていますので、是非遊びに行ってくださいね

さらに、上記のわたしの記事を読み、直ちにスタエフで配信していただきましたので、そちらもご一緒にお聴きくださいね!

ちなみに、スタエフではお話しする時間がなく端折っているのですが、わたしは専門学校~通信制の短卒~大学3年次編入~院です😊


時々、人生って不思議だなって思うのです

実は、わたしは近頃、自分の始めた活動に少し疑問を抱きはじめていました。勝手に始めた小さな企画ですが、わりとカッコ悪いほどそこへエネルギーを注ぎ、みっともないほど真剣に取り組んでいたのです笑 それなのに、なんだかクルクルと空回りを始めてしまって、どんどん虚しい気持ちに浸食されはじめていました

そんな時に声をかけてくださる方がいて、そしてかおるこさんもスタエフに声をかけてくださった

いつも、もういいかな、そう思った頃、誰かがそっと背中を押してくれる、わたしの人生はいつだってそんな風に誰かに助けられている、そんな気がしています

いつもありがとうございます

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