信頼していないでしょうと問われた日。母と娘。
自分では気づけないことってある。
それを指摘されて、あ、本当だと気づいた。
言葉
2週間ほど前、娘にいつもそうやって先回りすると言われた。
ずっと支えて励ましてきたはずの娘にそう言われた。
驚いた。とにかく驚いた。
そしてここnoteにそのことを記録した。まだ心の整理もちゃんとはできていなかったけれど。
親子
あれから2週間が過ぎた。時はどちらかといえば穏やかに過ぎた。
ちょっとだけギクシャクしたけれど、直ぐにいつもの暮らしが戻ってきた。また笑い合えるようになった。
ただ、以前とは既になにかが違っている。
父はわたしを心から信頼していた。
そんなわたしは、いつだって事後報告な娘だった。
初職の会社から内定をもらった時も、転職した時も、もう一度転職した時も笑、留学するといい出した時も、結婚すると決めた時も、すべて事後報告だった。
ただ父はumiさんが決めたことなら大丈夫だろうと言った。いつだってそう言っていた。
考えてみると、父は一度だってわたしの人生に口を挟まなかった。
そして母はそんな父に従っていた。
母
そんなわたしは娘を心配ばかりして育てた。彼女が小さなころからわたしは彼女を心配ばかりしていた。
わたしは結婚前他家で数年を過ごした。大変お世話になった。
ただその親戚宅でわたしは母を笑われた。
母は戦争で父親をなくしている。母子家庭で育っている。それなのに大きくて立派な家に嫁いだ。だから母は常に親族のラインの下で生きる運命を生きていた。上のレベルに潜り込んだ卑しい女。母は笑ってもいい人だった。
そんな事情も知らないまま、わたしは進学と共に故郷を離れ、親戚の家で暮らしはじめた。皆親切で良い人たちだった。随分お世話になっている。
ただ皆が母について話すたび傷ついた。笑われると傷ついた。身分の卑しい女という感じを言葉から拾いとると、わたしの頭はグニャリとよじれるようなかんじがした。嫌だった。
ただそのことは母にも父にも言えなかった。とてもじゃないけれど言えなかった。
それなのにいつしかわたしも母を笑うようになった。
そしてわたしはといえば笑えなくなった。
とても心が弱くなった。
そしてわたしは心配性になり、そのまま母になった。
心の傷
だからわたしは知っている。
心の傷は目には見えないけれど血を流すということを。
疲れた時は休めばすぐに元気になれる。
けれど心が疲れすぎた時には休んでも元気になんかなれない。
わたしの目には見えない深い傷は、どうしたわけかわたしが母になったころから外にではじめた。
そうしてわたしは衰弱していった。
そんな頃、わたしは母に抗議した。
心理学で母に行き着いたのだ。
あなたはなにもしてくれなかったじゃないか、わたしに何一つしてくれなかったじゃないかと母に抗議した。
あれは30代後半だった。
そう、わたしが負った深手は母が原因だった。
傷ついて、だからこそ反応できないわたしに他人は容赦なかった。わたしはその他家で心の根っこを引き抜かれた。
誇りは踏みつぶされパラパラ零れて消えてしまった。
その辛さを母に抗議した。
わたしには根っこが無いんだと。
苦しいんだと。
あの頃は気づいていなかったけれど、そのことをほんとうにぶつけられるのは母だけだった。母しかいなかった。
それが今なら分かる。
信頼
すっかり元気になったつもりでも、わたしの長年の心配が娘を窮屈にしていた。ただ娘の心配性はわたしが原因だろうとも思っていた。
だからこそ、それを娘に言われてほっとした。
あゝ、やっぱりそうだったのか、わたしが原因だったのかと思えた。
だからよかった。
娘はちゃんと本質をとらえていたのだ。
あなたはわたしを信頼していないじゃないかと。
そうだったのかと思った。
ようやく分かった。
わたしに欠けていたのは、娘を心から信頼することだった。
おわりに
相手は自分の鏡だとよくいわれる。それでも見せられた鏡が何を伝えようとしているのか長い間わからなかった。
わたしが負った深手は娘にまで傷を負わせた。手放したはずのものが娘に残っていた。長い長い月日だったと思う。
ただ人と人との関係にはやり直しができることをわたしは知っている。母とは今では穏やかに暮らす。大切な人だ。娘ともほどよい距離感が見えてきた。これまた大切な人だ。
またやり直せばいい。
※最後までお読みいただきありがとうございました。
※スタエフでもお話ししています。
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