ロンドンホームスティで知った、人って皆同じ
昨日、わかるな~という記事を目にしました。実は、み・カミーノさん、15年ホストファミリーをされているそうなのですが、そのことで、しばしば周りに言われることがあるそうなのです。
それは、「子どもたちに英語を話せるようになってもらいたいからでしょ?」というもの。
それが、こちらの記事です。
ふむふむ。
いったい幾度、そんなことをいわれたのでしょうね。
でも、彼女は、ちがう、そうじゃない。英語は二の次だと言われているのです。
◇
わたしも、いつか外国の人を迎えたいと思っていますが、まだそれは実現できていません。ただ、その逆、ホームスティでお世話になった経験ならあります。
そして、英語より体験にわたしも大きく同意する派なのです。
ですから、迎え入れられた側から、異国の人が同じ屋根の下で暮らすことについて、少しお話ししてみたいと思います。
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わたしを迎えてくれたのは、共に身長180㎝は超えるであろう、初老のイギリス人ご夫妻。一軒家で、周りにそっくりな家が整然と立ち並ぶ、ロンドン郊外の、やや高級な住宅街でした。
ホームスティには、結婚したらもう海外に行けなくなるから行っちゃえ、という、実にスカスカな動機で行っています。結婚を目前にした20代後半の、なんとも物知らぬ若者でした。
で、み・カミーノさんは、ホストファミリーを引き受けた理由を、
といわれています。それは、何も考えずに出かけて行った、英語片言のわたしにも、大きく頷ける話しなのです。
◇
考えてみますと、それから現在まで、もう行けないと思っていた海外に、嬉しいことになぜか何度も行っているのですが、このわずか2週間のホームスティが、今でもダントツで記憶に残っているのです。
そのお宅には、10代のイタリア人女性がスティしていました。その日から2週間、4人の暮らしがはじまったのですが、最初に違うなぁと感じたのが靴と食事でした。
小さな違いは他に幾つもありましたが、一つだけ、どうしても忘れられないのが、小さなトラブルでした。
わたしは暮らし始めてわずか数日で、ママを怒らせてしまったのです。以来、ママが目を合わせてくれることはなく、わたしのホームスティはあえなく終了。チン~。
◇
ママを怒らせたのは夕食の時間。そういえば、初日の説明で、夕食は5時からと告げられてはいたような。ただ、もう一人のイタリアの女の子は8時前に帰り、ママとなにやら楽しげにおしゃべりしながら一人夕飯を摂っていたわけです。これがわたしの誤解のはじまりでした。
わたしは午前中は英会話学校に行き、ランチは10代の子たちとロンドン大学の学食に出かけ、解散になるのが2時過ぎ。家までは片道約1時間半。
ランチを終えると、気ままに博物館へ行ったり、オックスフォードやケンブリッジに足をのばしてイギリスを堪能し始めたのです。で、イタリアの子が帰るちょと前に家に帰っては、ちゃっかり一緒に夕飯を共にしていました。
すると、ある夜、イタリアの子が、ママが怒ってるよ!と教えてくれたのです。理由は夕食の時間。イタリアの彼女は大学の課題があるので、特別に夕飯の時間を変更してもらっていたらしいのです。
そんな!と、慌てた私、すぐにママに謝ったのですが、後の祭り。その日からママは目を合わせてくれなくなったのです。
一日の終わりに自分たちの時間を愉しむ、そういえば、洋画では、きまって夜、大人が子どもを置いてパーティにいっていたではありませんか。
◇
次の日から、ランチをスキップして観光続行。4時半には帰宅するようになったのですが、ママの機嫌はなおらず。
夕食はパパとママとわたしで、野菜不足の食事を通夜のように口に入れるのです。二人の間に挟まれたパパは、ちょっと困って、陽気な声で話しかけてくれるのですが、ママは決して目をあわせません。
それでも、どこまでタフなんだと、若き日の自分に呆れるのですが、週末に許可を貰うと、一人でスコットランドへ一泊旅行。英語も話せないというのに宿の予約さえしないまま電車に飛び乗ったのです。
エジンバラに到着したのはまだ4時過ぎだというのに、外は薄暗く、急いでインフォメーションで宿探しを始めたのですが、エジンバラでは一人旅の女性はどこも宿泊お断りと言われ、茫然。
その日は、地球の歩き方に書いてあったベッド&ブレックファストを見つけて、やっとこさ、そこに一泊。
日曜の夜、ステイ先にもどると、皆が迎えてくれたものの、ママはやっぱり目を合わせてくれません。
ただ、身振り手振りで宿探しの話しをすると、少し離れたソファに腰かけてるママが、新聞に目を落としながら一言。わたしは母親から、旅をするならちゃんとしたホテルにしか泊まってはいけないと言われて育ったとぼそり。それが、どうしたわけか、その英語だけはクリアに聞き取れたのです。
実はエジンバラの宿、泊めてはもらえたものの、シャワーもトイレも共同。
狭い廊下をトイへに向かって歩いていくと、3メートほどにも思える大男数名が、簡易キッチンを占領していたり。で、わたしはビビりながら彼らの後ろをこっそり通り抜けて…。その夜はドアの入り口に机と椅子をバリケード並みに積んで寝たのでした。
以来、わたしは旅先ではホテルだけはケチらないと決めているのです。そう、あのママの言葉が忘れられなくて。
◇
けれど、途中まで、申し訳なさでいっぱいだったわたしも、いい加減、ママが何を怒ってるのか忘れてしまうほど。
で、だんだんと、鈍いわたしにもわかったのです。あ、ママって不器用なのかもと。
そうしていよいよさようならの日、タクシーが来る少し前に、買っておいた、ちょっぴり早いクリスマスプレゼントを皆さんにお渡しすると、ママは静かにそれを受け取ってくれたのでした。
そして、にっこり微笑むと、かなりムギュっとハグしてくれました。最後はちゃんと目を見て笑。これがわたしの初めての異文化体験。
◇
み・カミーノさんの記事を読んで真っ先に思い出したのが、あのママのことでした。
人間って、白人も、黄色人種も中身は変わらないんだ、大人に見えても不器用な人っているんだ、そんな当たり前のことを身体で覚えた2週間だったのです。
だから、わたしも思うのです。ホテル旅行もいいけれど、地元の家庭にスティするのは、たとえ短くても生涯心に残る学びだと。
もちろん、わたしは30歳過ぎてから英語を勉強しましたよ。ちっとも伝わらなかったあの時の悔しさがあったから。
そう、英語はいつからでも学べます。でも、異文化体験は人の目を大きく見開かせてくれます。もちろん、若ければ若いほど、学びは多いはず。多様性なんて学問では学べません。生きた学びほど、人を大人にするものはありません。だから、草の根をあっさりと暮らしの中に取り入れていらっしゃるみ・カミーノ家にちょっと感動を覚えているわけです😊
※み・カミーノさんの記事をお借りしました。ありがとうございます♪
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