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【介護】家族が待ってますので

朝の11時半に母がショートステーから返ってきた。その3時間程前にセンター長さんから、

「今日はクリスマスイブですので、イベントもあるし、お昼まで食べて帰ったら?って言ったんですけどね、なんど言ってもニコニコはされてるんですけどね、お返事がないんです。でね、もう一度聞きましたらね、家族が待ってますのでって言われるんですよ。ですから申し訳ないんですけどね、お昼はご自宅でお願いします」

そんな電話があった。

いやいや、お支払いしているんだし、お昼食べて来てよ、と思ったけれど、なんだかおかしかった。


わたしにとっては初の講演会を終えた直後のことだった。大阪にいかなきゃと思った。会いたい人がいた。

けれど、クリスマス前に動かなきゃホテルも新幹線もとれない!とあわてて2泊3日で関西旅行に行くことにした。

問題は介護中の母のことだった。こんな時には、ケアマネさんにお願いするのが一番だ。そこで、出発の数日前、ケアマネさんに無理を言った。急な話だ、空いている先が見つかるかどうかも不明のままだった。

ただ、ここで気軽に母をショートステイにお願いするわけにはいかない。母の心には今も深い傷がある。しかも母はステイ先を老人ホーム=姥捨て山のように思いこんでいる。だから、母にとって初めてのショートステイは慎重に選ばなければならない。少しでも怖いと思ったらきっともう二度と母はステイなんてしてくれないだろう。そんな事情もお伝えしてケアマネさんに泣きついた。

そういえば、先日、役所からマイナンバーの更新のお知らせがきて、もう5年前の夏になるのか~と思ったばかりだ。ずっと離れて暮らしていた母が、東京に住む娘の家で暮らしはじめてもう6年目になる。

その母は、子どもたちになにもかも捨てられて我が家へやってきた。生きている間に自分の死後を目にしたようだったと、今でも母は時折その時の話をする。母のわずかな持ち物以外、母のあらゆるものが母の目の前であっという間に断捨離された。こんなことが現実に起こるなんて、母には信じられなかったのだ。もちろん、離れて暮らしていたわたしには想像さえできない。

「お父さんが死んでしまって、わたしは怖かった」と最近になって母がいう。とにかく、夫を亡くして数年経って、母はもや田舎で孤独を通り越し、誰にも大切にされていなかったのだ。

その母と暮らしはじめて数年間は、足の悪い母に手を差し伸べると、母はわたしの手を払いのけた。悪気はないのだと思う。反射的にそうするのだ。タクシーに乗る時、降りる時、電車に乗る時、降りる時、玄関先で、母は繰り返し、わたしの手を払いのけた。その度にわたしは何とも言えない気分になった。

そんな母が10月に倒れた。

それから、本格的な介護が始まると変化があった。わたしの手さへ振りほどいていた気丈な母が、なんとも我儘になったのだ。

2階に寝ている母に食事を3回運んで、下ろす、それだけでも起業したばかりのわたしには恐ろしく負担だった。それに加えて、朝の顔拭き、排泄処理、体拭きなど倒れそうになるほどの負担が続いた。介護認定が下りるまでの辛抱と思っても、時に折れそうになるほどハードな日々だった。

ところが、娘の手を振り払っていた母が、話す時間も無くなったわたしに苛立つのだ。まるで駄々っ子のように、わたしが母の傍にいないことに文句を言う。いったいどうしたことだろう。わたしはあなたの奴隷か?と思うほど大変だというのに、もっと近くに来て相手をしろという。

仕方なく、一日10分だけ、母のベッドの傍に座り、母の痛む腰や足を撫でながらたわいもない話しをすることにした。そんな頃から、母がわたしの手を握るようになった。うそだろう?と思うのだけれど、手を握る。しかもしっかりと握りながら、時にわたしの手を両手で包んで自分の顔にもっていく。そして、ああ、わたしほど幸せな年寄りはいない、などという。

やがて、母の我儘は消えていった。

母はわたしのきょうだいたちに持ち物全般と一緒に捨てられたのだ。そのことを恐らく母の記憶から消すことは誰にも出来ないのだろう。苦労続きの人生を歩いてきて、まさか80代になって、子どもたちにゴミのように捨てられてしまったのだ。

その母は、一緒に暮らすようになって、おしゃべりもしたし、家族で旅行にも出かけたし、食事にだって何度もでかけた。それでも、母はいつだって、わたしの手を払いのけていた。

それが、今では一緒にお風呂に入り、体を抱えて移動して、背中を流し、髪を洗い、一緒に湯船に浸かって昔話をしたりする。わたしが3歳の頃の話を懐かしそうに話してくれたりする。将来はumiに面倒をみてもらおうと父さんと話していたんだよなんて、裏の取りようもない昔話を昨日のことのように話したりする。いい気なものだ。この前までわたしの手を振り払っていた人だというのにね。

そして、今日は、家族が待っていますのでと言って、1日のステイ代など気にもせず家に帰ってきた。リビングの母の定位置に座ると、ショートステー先の話を楽しそうに話し出した。南向きのお部屋で、食事も美味しくて、とても大切にしてもらえたのだという。どうやらお友達もできたらしい。

それから母はぐっすり眠った。

夜は家族でクリスマスイブを祝った。母はにこにこと自分の席に着き、楽しそうにおしゃべりをした。5回目?か6回目のクリスマスイブの夜だ。以前はワインを口にしていたけれど、もうお茶しか飲まない。それでも母は、「やっぱり家は良いね」なんて言っている。

つい先日まで、わたしの手を払いのけていたのにね。

今では、母は迷わずわたしの手を握る。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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