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家族を創るとなにかが動き出す


家族は一緒に暮らすだけで家族になる?

わたしはそうは思わない。

少なくとも我が家は長い年月を経て今の形へと変化し、落ち着いていった。

我が家の特徴はよく話すこと。

食事中やくつろいでいる時、旅先で色々な話をする。わたしたち夫婦の話す言葉を幾つも知らなかった子どもが、近頃ではわたしたちの知らない新しい単語を多用するようにもなった。

けれど最初は会話の少ない家族だった。


まず自分が変わること、なんて色々な本に書かれているけれど、あれは本当だ。

わたしもまず自分を変えた。自分が求めていることはとりあえず封印して、夫や子どもを観察した。するとそれまで見ていそうで見えていなかった家族の姿が見えてきた。

そして3年ほど前から我が家で暮らしはじめた母は、わたしたちがよく話すことに最初驚いた。

我が家ではそれぞれの関心のある事柄について気ままにおしゃべりする。旅行、仕事、政治経済、歴史に海外のこと。ととにかく気ままなのだ。

家族は面白い。

特に面白いのが、同じ時代を生きているようでもメンバーは違う時代を歩いているということ。

それをはっきりと自覚したのは49歳で19歳の若者と机を並べた学生時代。我が子と同年代の若者たちが、わたしとはまったく異なる世界で生きていることをあの時はっきりと自覚した。あそこから子どものことが少しわかったのかもしれない。

けれど、だからこそ家族は難しい場でもある。

母はゆっくりと変化する時代を歩き、我々夫婦はかなり忙しく変化する時代を生き、子どもは飛ぶように変化する時代にいる。その3世代が一つ屋根に暮らし会話するのだから。

人は会社が、組織が大変だというけれど、いえいえどうして。家族こそ大変な場なのだと思う。

うっかりすると若者になめられる笑。

古びた人たちだと侮られる。

なにしろ家の中では外のように目上の人への遠慮というものが薄くなる。率直な会話が自分へ向かってくる。外ではなかなか飛んでこない遠慮なき異世代間の言葉にたじろぐ。

きっと企業ではお偉い方々にはこんな言葉は直接は飛んでこない。それが家に帰ると馴染みのない言葉が夫たちに降りかかる。家の中では位もへったくれもない。そこが可笑しい。

家族を再構築出来てよかった。

家族は小さな社会。ここで語ることで互いが変化する。そうして受け入れられた会話は、やがて小さく外へと持ち出せる。

さらに家の中で誰かが変わると、いつしか家族も変化をはじめる。そこが面白い。

家族は一緒に暮らすだけではもったいない。

覚悟を決めて家族に向きあってよかった。今では家の中で得たくつろぎと安心感とお互いを信じる気持ちがわたしを支えてくれる。

家族は自分に新たなエネルギーをチャージしてくれる場でもある。

だから、やっぱり家族は面白い。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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