書いて書いて、解き放たれて


もしや、あなたはなにかに縛られてはいませんか?

もしそうなら、あなたを縛るものは何ですか?

そして、苦しくはありませんか?

ブログとは無縁の暮らしをしてきたわたしは、ある日noteへやってきて、思わぬ変化を経験したのです。それは小さな小さな変化。書くことが運んできた、自分の内側に起こった、きっと誰にもわからない小さな変化。

けれど、それは、とてつもなく大きな変化だったのです。


書いて、はじめてわかること

たくさんの物語が溢れるnote。その良さは、書くだけじゃなく、読みにいくところなのかもしれません。書いては読む、それを繰り返す。そしてやがて気付くのです。書き手には、その人ならではの世界観があるのだと。なんどかその人の部屋を訪ねてゆくと、だんだんとその人の人柄を感じはじめ、気づけば、その人が、少しだけ身近な人へと変わっている、そんな気がするのです。

そして、気づきます。ここには、安心していつでも戻ることのできる、相互扶助のような、ちょっと優しい世界がひろがっているのかもしれないと。

そんな世界の住人の一人の嶋津さんが、「書くことは、超楽しい」とおっしゃるのです。

嶋津さんは、書くことを通して、

頭が整理され、心が整理され、「自分」のことがよくわかるようになり、自分自身が成長し、人とつながれる

といわれ、さらに、

書いて、書いて、書いて、気付いて、教わって、成長して。
書くことによって、誰かの元にその文章が届くことがあります。
そこで、一人だけでなく、相手とのコミュニケーションが生まれます。

と。それは、書かなければ通り過ぎたはずの言葉でした。けれど、書いたことで、わたしはその言葉の前で立ち止まったのです。



どうありたい?

がらんとした空間を前に、はじめは誰でも戸惑うのかもしれません。人の気配が感じられない、空虚で無機質なこの世界。

それでも、文字を重ねていくうちに、そこに人の気配を感じはじめ、やがて、かすかに見える人影に気付き。だから、その人へ届く言葉はなんだろうと、それをさがしはじめるのです。

そんなことを繰り返すうちに、ここは温かい場にかわりはじめる。きっと多くの人が、そうして暮らしはじめたはず。そんなことに気付いた時、すでにここは暮らしの一部になっているのです。

そんなふうに、自分の居場所ができた頃からだったのです。

だんだんと違う気分に邪魔されるようになったのは。

それから、揺れはじめます。

触れることのできなかった古傷。触れたはずでもないのに、なぜか揺れはじめてしまった。

そして、充紀さんがいわれるのです。

自分らしく生きるには、努力や覚悟が必要だと思うんです。

と。それが、やけに気になりはじめるのです。

そんな充紀さんが、かつてのご自分を、

自分に嘘をついて自分を傷つけてきたし、苦しんでもきました。

と振り返られているのです。そして、

自分の感情に正直に生きたい、自分らしさを発揮したいと思うなら、それに到るための道は自分で切り開いていかないといけない

とおっしゃるのでした。

このnoteの世界へやってきて半年。

誰かに嘘をついていたわけじゃない。それなのに、気づいてしまった。

苦しさに気付かないふりをしている自分に。

そうして知ったのです。

このままでは、自分を深く傷つけてゆくだけだと。


触れられないもの

これほど短期間に、これほどまでに心が動く場、そんな場所があったでしょうか。noteの世界が特別なのか、書くことがそうさせるのか、わかりません。

けれど、充紀さんが思われたように、わたしもまた、「自分の感情に正直に生きたい」、そう思うようになっていたのです。

はじまりはほんの小さな揺れ。

けれど、「正直になる」は、それほどたやすいことではなくて。

見たくないものに気づかぬふりをして、時は過ぎていき。

それなのに、向き合わずにはいられなくなってしまった。

目を背けたままでは苦しすぎて。このままでは自分に負けてしまう、そう思うようになり、そして苦しい。だから、広尾の図書館と蛇と 映画とあの人とを書いたのでした。そうして、ほんの少しだけ、過去の傷に触れ。

すると、知るのです。その古傷が、どれほど大きく自分の中に居座っていたのかを。

それで終わりになったはずだったのに、それは、また、突然やってきたのです。

イチミリも進めない。

葬り去ったはずのどこまでも重い出来事。

それがうずきはじめ、容赦がないのです。そこに、吸い込まれそうになる自分をどうすることもできなくなるのです。

伝えたいことがあって、だからこそやってきたはずのnote。それなのに、その下の下のずっと下の方に、小さく沈んだまま居座る出来事が大きすぎて。それを見ないでは進めなくなって。すると、分厚いカーテンの影に隠れて、そこに立っている自分がみえてきて。

本当は名前があって、生きてきた道のりがあって、沢山の思いを感じていた自分がいて。

そして揺れるのです。

心の底に沈んで消えてしまったはずの出来事だったのに、それはどこにもいっていなくて。それは、ことのほか大きく。そして、分厚いカーテンの陰にかくれたまま、なにかを語ろうとするわたし。わたしはその隙間にいて。

沈んだはずの、過ぎたはずの時が、わたしを飲み込みはじめたのです。

そうして、おおきく引き裂かれてゆきました。

書いて、書いて、書いていくうちに、いつしか心が動き、整理され

だから、きっとそれは自然なことだったのです。あれほど触れたくなかった出来事を、このnoteに記すことを決めたのは。

それは、忘れてしまいたい出来事。ほんとうは触れずにおけたはずの物語。それでも、そのことを書こうと決めたのでした。それが、泣き寝入りはあなたの人生を蝕みます。その対策、一緒に考えましょう!



嫌われないことより大切なもの

もちろん、過去の出来事をたやすく整理できるはずもなく。迷い、立ち止まりながら、それでも書けたのは、この世界に相互扶助の柔らかさがあったから。

ゆっこさんは、

ふとしたときに自分を責めてしまう自分がいる。

と記されます。そして、それが、「嫌われたくない」という感情なのだと、そういわれるのです。

さらに、ゆっこさんは、

二者以上が関係して起きている問題は、両方に責任がある。半分は自分に責任があるけど、もう半分は相手に。自分に関係がある部分に思いあたることがあれば反省、学びに変えればいいし、もう半分まで背負う必要はない。

ともいわれるのです。

過去の出来事に触れてみようと思ったのは、そんな彼女の感情に近いものが沸き上がってきたから。

本当は、noteには綺麗なことだけを書いていたかった。

なぜなら、惨めな思いが体いっぱいに詰まっていたから。だからここは美しい世界のままで置いておきたかった。それなのに、いつしかそれが苦しくなって、どうにもならなくなった。

もう逃げられない。

そして、その時決めたこと。

それは、美しいことばかりを語れない自分を責めないこと。たとえ誰かを不快にさせたとしても、嫌われたとしても、それは仕方のないこと。ここは避けられない。誰のためでもない。ここから先、顔をあげて生きていくために通らなきゃならない道、それが自分を救う唯一の方法、そんなふうに思えたのです。

美しい人生だけを語れればいいのに、それじゃ一歩も進めなくなり。「嫌われたくない」そんなものより、はるかに大切なものを手に入れるため、大きな傷口を世間にさらし、書いてみようとようやく思えたのです。

正直でいたい、堂々と生きていたい、もう逃げたくはない、そんな「自分」に出会えたのでした。

書くことで、書き続けることで、たった半年書いたことで、本当の「自分」と出会い、変わってゆく自分と出会い、そんな自分を受け止めることができたのです。


戦うことは自分にやさしくなること

そして、けるぽんさんは、こう言われます。

自分を守るために
自分を大切にするために
自分らしく生きていくために
必要な戦い。
避けて通ることはできても
それは後の自分を生殺しする。
だから、戦うしかないバトル。

と。そんなふうに優しく語りかけてくれるのです。そんな優しさがnoteには溢れていたのです。

ほんとうは知っていました。

深い闇の中にいた頃、気が付いていました。

わたしの経験したことは、既に誰かが経験しているということを。どんなに辛い出来事でも、それはきっとわたしが初めてじゃない。

書くことで、書き続けることで、わたしはようやく思えたのです。

わたしは変れたんだと。

永遠に超えられないと思っていた恐怖。

そんなものから、ようやく解き放たれ、わたしは勇気をてにいれました。そして、もうわたしは震えていません。


あなたと繋がれた

嶋津さんは、

書くことによって、誰かの元にその文章が届くことがあります

とおっしゃるのです。そして、

そこで、一人だけでなく、相手とのコミュニケーションが生まれます。

とも。書いたことで、それが既にはじまり、

書くことが「自分の悩みを解決する方法」だけでなく、「誰かにとってうれしいこと」に変わっていく可能性があります。

とも。きっと嶋津さんは、それを体験されたのだと思うのです。そして、わたしもまた、それこそが真実だと思えるようになったのです。

あなたが、深い傷を抱え、それなのに、わたしは何もできない。わたしもまたそれを知ってしまった。けれど、あなたが見えるのです。たとえ離れていても、それが見えるのです。そして、わたしたちは静かに手を繋ぎ合えた、そうも思えるのです。

書くことで、責め続けた自分を手放すことができて。

新しく繋がれた世界がここにあって。

書くことで、解き放たれた、今はそう思えてならないのです。


※写真は、みんなのフォトギャラリー、ヨネオカタクロウさんよりお借りしました。ありがとうございます。

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