見出し画像

それを感じ取ったときから運命は揺り動かされ💛


皆さまお元気ですか?今日は、これって運命が動きだす時のサイン?そう感じる小さなできごとについて、ちょっと気ままに書いてみたいと思うのです。


note界のスピリチュアル?!

さて、ここ数日のこと。なんだか説明のつかない流れのようなものを感じておりまして。

どこでって?

このnoteの世界でです。

なにがあったのって?

いえ、とくに何かがあったというわけじゃないのですが…

でもね、なんだか皆さんの言葉がどんどん語りかけてくる、そんな気がしてならないのです。で、立ち止まって、ふと思ったのです。そういえば、ここにやってきてもう半年だなぁと。

わたしには、多くの人に伝えたい思いがありまして。それがなにかといいますと、

働く女性、大学生、子どもたち、パパママ、主婦の方々…、そんな一人でも多くの人に、女性の働き方や生き方について考えてほしい、そんな夢があるのです。

で、そんなことをかんがえているわたしに、ここ数日、気になる、ゾクゾクッとするような記事との出会いがある、そんな気がしてならないのです。

その一つが、西原愛香さんのこの記事。彼女はブログに始まり、オンラインサロンの開設、さらには「本を書きたい!」という夢を叶えていらっしゃるのです。思ったことを、次々に実現されてゆく。そんなことがあるんだ、と驚いているのです。

そう、こんなに身近に、このnoteの中に、夢を実現した人の言葉がありました。

で、それがどうしてスピリチャルって?



あなたの言葉が私を救ってくれたから

わたしは薦めて下さる方がいて、このブログの世界へやってきました。そのお一人が某出版社の女性の編集者さん。ちょっとしたご縁で何度かお会いして、一度、作品を企画にも挙げて頂いたのですが、今の時代この内容は本ではちょっと…とボツになり。それがちょうど4年前の今頃のことでした。

それでも、気になることがあって、書くことが止められなかったのでした。

実はその数年前、わたしには厳しい試練がありまして、ある組織から追い出されてしまったのです。その追い出されるには見えない力があって、どうすることもできないのです。自分が孤立した意味さえわからぬまま、存在さえなかった人として、追い出されてしまったのですから。どんなに叫んでも声など届きません。そりゃそうです。誰もそれを聞くつもりなどなかったのですから。

それから数カ月後、故郷でも同じことがおこります。組織で日々起こるトラブルを相談していたきょうだいに、同じやり方で故郷を追われます。それは愛する父を亡くした直後のこと。

どちらも、振り向いた時には、既に外堀は埋められていて、何が何だか意味が分からないのです。

その時からです。わたしは本の中で暮らし、言葉を探しはじめました。言葉がなければ生きていけなかった。言葉の傍にいるしかなかった。今振り返ってもそう思うのです。

すると、そんな、なにもかもなくしてしまったわたしのまえに、光る言葉がみえはじめたのです。その時です。わたしははじめて知ります。わたしの経験したことは、既に誰かが経験している、ということを。

そして、その言葉の一つが、こんなふうに語りかけてきました。

追い出された人は頑張ればいい、きっともっといい人生が待っている。ただ、追い出した人は気をつけた方がいい、と。

何年かかったのか、もう忘れてしまいました。けれど、拾い集めた言葉に励まされ、その言葉たちが、自分を責め、辱めることをじょじょにやめさせてくれていたのかもしれません。

それでも、そんな暮らしのなかでも、書くことだけはやめられなかった。そして、その作業が、わたしの日常を支えてくれていたのかもしれません。


それから、数年のブランクを経て、わたしはお世話になっていた女性編集者さんと再びお会いするのです。

ところが、今度は、その編集の方が体調を崩されていました。

久しぶりの再会。

ところが、その方は、思いもよらないことを口にされたのです。「あれからずっとあなたのことを考えていた」と。会っていただくことさえ厚かましい、貴重なお時間を使わせてしまって申し訳ない、そう思っていたわたしに、その人はこんなことをおっしゃるのです。「あなたは獅子。だから書いて」と。それは2020年1月のことでした。

その方は、きっと気づいてはいないでしょう。

けれど、その人の言葉は特別だったのです。もう一度生きていい、わたしには、そう聞こえたのです。もう一度いきてもいいよ、と。

だから、あれほど恐ろしいと震えた広い世間に、わたしは再びでていくことを選びました。そう、あなたが背中を押してくれたから。



語り掛けてくるもの

それから、その人がすすめてくれたこの広いブログの世界へ恐る恐るやってきたはずだったのに、今、そこで、見えない力に押されはじめている、そう感じはじめているのです。

たとえば、お辛い経験をものともせず、前進を続け、大変なご活躍をされていらっしゃるにこまるさん。決して立ち止まず、前へ前へと進み続けてゆくその生きざま、その物語が、わたしにこうささやくのです。怖がらないで、まだやることがあったでしょう、と。

そんな出会いが幾つも幾つも、本当に幾つも、集中的にあったのでした。

だから思うのです。人に笑われたって、怒鳴られたって、嫌われたって、追い出されたって、そんなこと気にしなくていいんだと。そんなことでくじけちゃ、死んじゃ駄目なんだと。

なぜって、人生はまだまだ続いてくのだから。

どんな惨めな時にも、傍には友がいて、そっと見守ってくれる家族が居て。

惨めなわたしのことを、一人静かに思っていてくれたその人がいて。そして、書いてとおっしゃる。そんな奇跡があって。

そして、その方が薦めて下さったこのブログには、不思議な出会いがあって、一人一人が語りかけてくる。大丈夫、わたしも超えられたから、と。

数分後、思いもよらぬ素晴らしいことがやってくる、それが人生、そう思わずにいられないのです。

たとえ嵐の中にいても、顎を上げて立っていればいい。そうすれば、わたしが嵐の中に立っているなんて、きっと誰も気付かない。誰かに心をシフトしないで、自分の心を留守にしないで、そうして暮らしていれば、また元の自分に戻れる。

今はそれが、間違いじゃなかったと、心からそう思えるのです。

少し勇気を出して、このnoteの世界にやってきたら、小さな出会いがどんどん増えて、増えて増えて重なって、また続いていく。

だから、また進める、そう思えるようになったのです。

ね、こんな世界がいったいどこにあるでしょう。

きっとnoteには不思議な力がある。

ここで出会って、知り合って、やがてつながって。

そうして恐れずに、そして先へ、前へと進んでいける。

それがnoteのスピリチャル。なんだか不思議な世界。

もちろん、それは気ままなわたしの勝手な思い。


※イラストは、みんなのフォトギャラリー、るららでらブランチさんさんからおかりしています。るららでらブランチさん、ありがとうございます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?