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考えるきっかけは「外」からやってくる


ちょうど6日前、自分の書いたnoteがあれよあれよという間に拡散された。

そのTwitterがようやく静かになった。単なる読書感想だったはずなのに、そこに第三者のコメントが添えられバズった。それから別なコメントも添えられ、それもまた拡散された。そうしてわたしの書いた記事がどんどん開かれ現在その記事のアクセス1,987。といってもスキはほとんどついていない。



考えるきっかけ

わたしは普段わりと呑気だ。ところがこのバズるだけは違った。その原因をググりさらに困惑した。その本がたまたま世間で話題のテーマを扱った本だったのだ。そういえばわたしは昨年はよくぞ倒れなかったと思うほど忙しかった。世間の噂も議論も知らずに生きていた。

何も知らないままその話題の本の読書感想を書いた。それはマクロ経済の本で『「国の借金は問題ない」って本当ですか?』というタイトル。もちろんマクロ経済に通じてなどいない。単にタイトルに惹かれたのだ。書かれている内容があまりに知らないことばかりで驚き、そのまま感想を書いたのだ。

ところがそれをtweetした翌日から拡散が始まった。だからしばらくはTwitterから離れて暮らした。良く知らない物事の読書感想が拡散され続ける。何ともいえない気分だった。

ただ時間の経過とともに気になり始めた。これだけの人が知っていて、意見を言いたいと思っている人いる。それなのにわたしはそのテーマについて何も知らない。

これは考えろってことじゃない?、そう思ったのだ。



マクロは見えにくい

国会では一月になると予算でもめにもめる。今だって防衛費をめぐり国会は賑やかだ。これぞマクロ経済

けれど、どうだろう。わたしは国会中継なんてほとんど観ない。だからマクロ経済とわたし個人はすれ違ったことすらなかった。

けれど、待てよと思うのだ。

こんな経験ならしているぞと。

わたしは女性の働き方について考えているけれど、そのきっかけもからやってきた。ある日いきなり「わたしたちの税金で!」と言われたのだ。「どうして働かないの!」と。あの時も驚いた。なぜってわたしは働いてきたから。その時から主婦っていったい何?と調べ始めた。

けれど考えては行き止まりという経験を繰り返した。やがてわたしは女性の働き方についてマクロな視点からも眺めるようになった。そこにたどり着くのに随分時間がかかった。



考える方法

人は困った時に考え始める。少なくともわたしはそうだ。けれど今振り返ると、かつてはその考える術を持たなかった。深い悩みを抱えていた頃、わたしは図書館や書店で本を漁った。手当たり次第に本を読んだ。

けれどついぞ自分が何に困っているのか掴めなかった。

その頃出した結論は自分が悪いというもの。なぜって、そうするとすべてが丸く収まるから。

ところが、大学に入りなおしたことで視界が開けた。人生経験を積み、その中でもどかしい思いを抱えていたわたしが学び始めたことで、学問の意味がわかった。

わたしの困りごとのほとんどが研究者によって既に研究されていた。だから夢中で文献を漁り本を読んだ。あれほど考えていても得体のしれないままだった悩みに大学の図書館で徐々にタッチし始めた。

その時わたしは考える方法を手に入れたのだと思う。それが大学にあった。



マクロとミクロ

我が家の家計と自分の仕事の収支、そして夫の勤め先の決算ぐらいはわたしにも見える。それがわたしにとってのミクロ経済。けれど国のお金の流れなどわたしの暮らしとは直接関係なかった。

けれどどうだろう。

本当は国家予算にわたしと直接関係のある項目なら幾つもある。それなのにそこが少しもピンときていない。だからたった一冊のマクロ経済の本が驚くほど刺さったのだろう。もちろん読んだ本の反対意見が山ほどあることもこの一週間で知ることとなった。それほどわたしとマクロ経済は遠かった。

そもそもわたしたちはミクロだ。お金の流れだけでなく、働くことも近くしか見えない。なぜってマクロとはすれ違わない狭い場所で生きているから。

ミクロとマクロは離れている。

わたしが深い悩みを抱えていた時、わたしはミクロの中で本を読み漁っていた。ずっと孤独だった。

けれど大学教育がひょんなことでわたしをマクロに繋いでくれた。

教育とはそういうものだった。国の枠組みの中にあって、それでも教育は独立して研究が積み重ねられ更新を繰り返し静かにそこにあった。



マクロな哲学

大学では政治哲学のゼミにいた。そこでわたしはいきなりマクロな社会を目にした。ジャンジャックルソーの『社会契約論』。ルソーは王様のいる時代にマクロを語っている。という枠組み、労働市場という枠組み、そこに人や働く人の権利という人権という枠組みを考えた。

このゼミがその後わたしに効いてきた。

哲学は人の脳みそのようなもの。これまた歴代の知識人の考えが積み重なり枝分かれしてまた新しい考えが生まれ現代にまでそれが引き継がれている。

ミクロばかり触っていると必ず迷子になる。

ミクロばかり見ていると誰かに向かってせっかちに文句を言いたくなる。

けれど少し引いてマクロな視点で世の中をみると冷静になる。

なにしろ国の枠組みは年季が入っている。だれかを懲らしめようと作られた枠組みではない。だからマクロをつかんで自分の立ち位置でミクロをみる。わたしはそんな気分で女性の目線でみた働き方について考え続けている。それは女性がしなければ駄目なのだ。当事者じゃなければそんな面倒なことは誰もやってくれない。


おわりに

この一週間ずっと考えていた。どうしてわたしはマクロ経済に頓着が無かったのだろうと。そうして徐々にマクロ経済に触れて気付いた。マクロは見えにくいと。わたしたちは普段マクロとはすれ違わない。それがミクロに住むわたしたちの暮らしだ。

けれどその二つを繋いでくれる教育と出会い、わたしは考える術を手にしている。労働だけでなくこれからは経済もマクロな視点からも眺めてみたい。これが今週のわたしの総括!



※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

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