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もうやりつくした、そう思えた時ワーママは仕事を辞める決心をされた。それでも自由だけは手放したくない。


今日は、noteで仲よくさせて頂いているさおりすさんにスタエフにお越し頂いた。

いつかnoteで話題をかっさらった、あのさおりすさんの怒涛のようなワーママ時代のお話しをお聴きしてみたいと思っていた。その記事がこちら。




怒涛の1年間

14年半働かれた会社を辞める少し前、さおりすさんのワーママ人生は大きく動いている。

少し前に転勤された夫さんを追うように、彼女は幼子を連れて九州から東京へ転勤されている。遠隔でお嬢さんの保育園捜しをされた上での引っ越しだった。

それから東京暮らしがはじまると、片道1時間半の通勤がはじまった。子どもがいて片道1時間半。しかも朝は7時に家を出て帰りは19時。そこから夕食後にパソコンでもうひと仕事。寸刻みの日々。お子さんとまともに話す時間さえなくなってしまったという。

その間、さおりすさんは東京でもう一度異動されたことで、幸いにも通勤時間が短くなったのだけれど、ここで夫さんに転勤命令が下る。

わずか1年の間の話。

そして、ご家族は再び九州へもどられた。

これはリアルに起こったワーママの人生の一ページ。


どうして辞めないの?

共働きだったさおりすさんご夫婦は、どちらかといえばさおりすさんの方が時間的にハードな働き方をされていたようだ。そんなハードな日々を過ごされる彼女に、夫さんは、

「それほど大変なら、どうして仕事を辞めないの?」

とおっしゃっていたという。そんな時彼女は、

「辞められないでしょう!だって会社で働いているんだから」

そんな返答をされていたという。当時を振り返り、常にスイッチが入った状態でとてもじゃないけれど冷静になれなかったといわれている。


けれど、ふと思い出したのだ。そういえば、わたしもまたこのやりとりを夫と繰り返していたということを。我が家の場合わたしは専業主婦だったけれど。

「どうして仕事を辞めないの?」

そのセリフを口にしていたのはわたしの方。わたしは、どうしてこの人はこれほど仕事ばかりしているんだろうと思っていた。そしてそんな夫にいつも怒っていた。

これのどこが家族なんだと。これじゃ家族じゃないだろうと。だからわたしは繰り返し夫に不満をぶつけた。そんな時、夫は決まってこう答えていた。

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

と。そう、さおりすさんと同じだ。夫にもさおりすさんにもこれほど頑張っているのにどうしてわかってくれないんだという苛立ちはあっても、それをうまく反す適切な言葉が探せなかったのだろう。


仕方ないけれど、それでも一緒にいたい

そんな夫の返事で、わたしたちの喧嘩は終わった。

どうすることもできない。

突き詰めて考えると、会社を辞めて欲しいってことになるけれど、本当に求めていることはそんなことじゃなかった。少しは家族らしく暮らしたい、たったそれだけだった。それがないまま、わたしたち家族は時ばかりが過ぎていった。わたしは社会から切り離され、小さなワンションに閉じ込められ、子どもと二人ぼっちだった。光などなく苦しかった。

そんなふうに、かつてわたしから夫へ向けた問答が、若き共働き夫婦のさおりすさん宅では夫から妻へと向けられていた。一緒に過ごしたいのに妻は忙しすぎる、そんな時、夫さんは寂しさや孤独を味われているのだろうか。

少なくとも、わたしはあの頃ひどく孤独だった。わたしの周りにわたしをわかってくれる人は誰もいなかった。もちろん、

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

という夫の言葉の意味ぐらい、わたしにだってわかってはいた。そもそもわたしは食わせてもらう側だったのだから。

夫が悪いわけでも、さおりすさんが悪いわけでもない。どうすることもできない、それだけはきっと夫さんもわたしにもわかっていた。

問題があるのは働き方。夫をずっと許せなかったけれど、それが日本の一般的な社会だったのだからどうすることもできなかった。そう、さおりすさんも我が家の夫と同じく日本のサラリーマンだったのだろう。

今になればわかるのだけど、わたしは長い間夫を恨んでいた。けれどそうじゃなかった。わたしたちの暮らしの時間を無残にも奪い取っていく、そんな働き方をわたしはずっと恨んでいたんだと思う。


互いの価値観

人の価値観など、普段はあまり顔を出さないし、気づかないことすらある。わたし自身は、結婚後は経済的に自立したいと思いつつ、それが叶っていない。仕事を辞めて育児がはじまり、外に出られなくなった時、こんな窮屈な暮らしがこれからも続くなんて絶望しかないと思っていた。

それなのに、わたしが家にいることは夫にとってはしごく自然なことだった。これからの人生は人のためだけに生きてくれ、そう問われているようだった。だから、わたしっていったいなんなの?とずっと思っていた。

そしてさおりすさんの場合、そんなハードな暮らしの中、一旦会社を辞めようとされるのだけれど、そこで思い直していらっしゃる。迷われたのは、辞めてしまうことで自由が無くなると思われたから。夫さんとの会話でそう感じられたのだそうだ。

その勘はきっと当たっている。

どんなにハードに働いていても、いつか妻が妻らしく妻の場におさまる、そんな相手方の希望が見えたとき女性は気づく。あ、危ないと。働き続けたい女性は、自分の価値観を手放すと、もう自分ではなくなってしまう。だから全てを飲み込むのは危険だとわたしも思う。

それにしても興味深い。これほど異なる生き方をしてきているのに、さおりすさんとわたしは、最後はなぜか同じ悩みに行きついている。

妻は家のことをする人そこにわたしを閉じ込めないでよ!とわたしたちは思っていたのだから。


おわりに

若い頃、夫とわたしは喧嘩ばかりしていた。二人の価値観に大きなずれがあった。それが今ではそれはいい塩梅でおさまっている。

さおりすさんも今、過渡期の中にいらっしゃるのだろう。人の価値観を変えることは難しい。けれどそれでも話し合うのが夫婦なのかもしれない。どちらかがやりたいことを完全に飲み込んでしまった時、その人らしさはその人から消えていく。

たとえ結婚しても、たとえママになったとしても、自分らしさは失いたくない。誰かの好みの人になって生きようとしても、そうは上手く生きられない。わたしもそう思っている。

さおりすさん、お話を聞かせて頂きありがとうございました。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


※スタエフでもお話ししています。

こんなお知らせをいただきました。ありがとうございました。

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