自分の内面について
このところ土日は無気力に過ごしている
平日は残業に家事ぎりぎりまでやって
土日は糸が切れたみたいにただ横になって
内面にある疑問を眺めたりそれについて考えたりしている
そうなったきっかけは
①連続テレビ小説「虎に翼」の優三さんのセリフ
②ドラマ「エルピス」の「岸本拓郎」(眞栄田郷敦)
③婚活がしんどくなり一時休止したことと
それにより一人の人と向き合うことになったこと
今後の生活への不安
④仕事で変化を起こす取組をする中で生まれた不安
ひとつずつ解きほぐしてみようか。できるかはわからないけれど
①優三さんは亡くなった後もトラちゃんの横にしばしば登場してきてくれるのだけれどその度に涙が出てくるのは彼のトラちゃんに対する愛の深さを感じるからなんだろうか。優三さんはセリフだけでなくその存在で愛を感じさせてくれる
人生を30年生きてきて思う
好きに生きるなんてことできるの?と
ずっと親の敷いた安全で丈夫なレールを進んできた。止まりたくても止まれない。曲がり道があってもそっちじゃないと引き戻された
親からすれば子の安泰、生活を守る上で当然の行い、心構えだったのだろうと思う
「トラちゃんの好きに生きること」-親じゃない優三さんだから言えたセリフだったのだと気づいた
おかげで私は「ちゃんとした」職に就き毎月お給料をもらえて住む家もある。今の生活には何の不満もない
だけど私というひとりの人間、魂はそれだけでは満足してくれないらしい
いつも何かを求めて探し続けている
ここではない何処かへすぐに行きたがろうとする
たとえばこんなことだ
通勤途上のお気に入りの道に陽だまりが綺麗に見えると、きれいな陽だまりを集めた写真集を
歌を歌うとYouTubeで歌を配信してみたら
エルピスを見れば弁護士になってみたいだの
まだまだ将来の夢を考える高校生みたいな思考だ
可能性は刻々と閉ざされていくのに私の頭の中にはふわふわした可能性の種があってそれはなかなか消えてくれない。これは何なんだろうか
今の仕事が嫌とかそういうことでもない。ただ言うなれば誰にでもできる仕事。そこに「私」が生きる意味はない
母は言った。「ただ生きるのだ」と
その言葉に救われたこともある。しばらくはその言葉で頑張れていたかもしれない
だけど人生は長すぎて、やっぱり生きる目的がほしくなる
結婚について、ただそばにいてくれる人を愛するか、あの人が好きだから愛するかの2択のような違いだ
仕事という義務、生活という毎日だけでは、私は生きていけないのかもしれない
もう一つ最も大事な部分、自分の魂が喜ぶこと、切に求めること、ここを満たしてこそ生きること
それが優三の願う「トラちゃんの好きに生きること」
私の魂は地球、大地、太陽、海、川、山、動物、植物と繋がっていると感じる
私の魂はその一部だと感じる、いや一部になりたい、ありたいと願う。今の生活はそれに反しているとしても。いつかはそんな暮らしがしてみたい。でもそのいつかっていつ?本当にそんな日がくるの?
仕事という義務や生活の安定が人生の中で大きく深くなってきて、それと同じくらい魂は乾いて潤いを求めているのかもしれない
もう、いつかを待てない、今がいい
仕事や生活はたやすく私の人生を侵食してきて、それを防ぐ力も弱い
時間や範囲を決めてそこを死守する、ど真剣に考えて行動に移す、をやってみる。死ぬ時に心から人生をやり切ったって言いたい
②先週末にエルピスを一気見した。前にも見たことがあるから二度目だ。やはりこのドラマ引き込まれる。眞栄田郷敦演じる岸本拓朗が真実を自ら手に入れようと追求していく様には特に。冤罪をテーマに描かれている。そこから私は母が退職するきっかけの一つとなった事件にも思いを馳せることとなった。詳細はここでは書かないが、今でも当事者である母はもちろん少なからず私も苦しんでいる。弁護士、警察、県、誰にも助けてもらえなかったことは、私に絶望と諦めを生んだ気がする。助けてもらうにも技術が必要なのだと気づいたのは最近のことだ。今私も助ける側になって、助けられなかった人のことを思い胸が痛む。きっと彼らも同じように胸を痛めてくれたと信じたい。そして今もその痛みを引きずってくれているのだとしたら、それは社会が良くなる希望だ。
母の事件当時、まだ法整備も不十分だったが、今は法律に規定され紛争も可能だ。そう、社会はちゃんと進んでいる。過去の涙、苦労、願いは無駄じゃない。ちゃんと生かされている。すべての事がそうだ。私のこの当たり前の生活も、先人の涙や苦労、戦いなしにはなし得ないものだった。
母も私も苦しんでいるけれど、今よくなっていて、同じように悲しむ人を減らすことができているということは、母や私にとっては救いだ。だけど、母も私も苦しんでいるこの現実をどうしたらいいのだろう。耐えて生きていくしかないなんて悔しい。許せない。行き着くのは憎しみ。行き着いてしまうのはよくないと思いながら、行き着く先は決まっている。原因は事件だけじゃない。父のこと、母が幼少期に育った環境。私はどれも許すことはできないでいる。憎みながら生きるのは嫌だから、許す事ができるようになりたい。けれど許してしまえば一体どうなるのだろう。その境地にいる自分が想像つかない。事件の加害者、父、祖父母のことを理解したくはない。だけどそれでは許すことはできない。これら社会問題に関する本をまずは読んで理解を深めるとかカウンセリングとかなのか、いろいろ試して憎しみを和らげられるようにしてみる。憎しみの真ん中で生きるのは嫌だし、私の魂もそんなこと望んでない。
続きはまた後日書こうと思う。
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