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学校の先生インタビュー

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学校ではたらく先生の心の中。
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#小学校

「世界は自分の目で見てたしかめたい。」20歳で休学してアフリカで小学校の先生をした話 岡村ナナ

現在、武蔵野大学教育学部教育学科に通う3年生。 2022年4月から3ヶ月間は南アフリカの小学校教員としてインターンシップに参加し 7月から3ヶ月間はガーナの小学校、そして10月からは再び南アフリカに戻り同じ小学校で教員をした経験をもつ彼女。 日本人ゼロの環境で出会った様々な光景や人。 アフリカの地で現地の人に囲まれながら生活したからこそ見えてきた、学校教育や文化のリアル。 全国の20の学校と、2000人以上の子どもたちに伝えてきた彼女の想いとこれからの展望についてうかがい

「あなたは一人じゃない。」自分と子どもを重ねて気づいた痛み―現役小学校教員ネコ先生の願い―

ネコ先生 Twitterで発信をしている、現役小学校教員。 教員の仕事や働き方の実情についてはもちろん、人生を通して経験した事、心の動きなどをキャッチ―でポップなイラストと共に発信中。 きっかけは、子どもの心に火がつく瞬間を見た事 幼い頃から絵を描く事が好きだったネコ先生。大学でも教育の分野で美術を専門に、学んでいたとの事。 中学校の美術の教員免許も取得されたネコ先生でしたが、現在は小学校の教員として働いています。 「小学校へ教育実習に行った時に、衝撃を受けました。図工

療育の知識で、幸せな世界を―教育&療育コーチうめちゃん先生の想い―

兵庫県出身、元小学校教員。放課後等デイサービス指導員を経て、1月より、運動療育に特化した児童発達支援の事業所へ転職。 一人ひとりに合った支援と子どもたちとの出会い両親が教員だった事から、自身も教育への道を志したといううめちゃん先生。 人の成長に携わる教員という職業に憧れを抱いていたそうです。 「父は中学校、母は小学校の先生でした。父が顧問をしていたサッカー部の練習に参加させてもらったり、母の仕事を間近で見たりして教員の魅力を感じていました。」 また、兵庫県では中学校で

若手先生に勇気と知識を!―現役教員幸(kou)先生のチャレンジ―

若手教師のお悩み解決! 『小学校×教員×効率化×笑顔スマイルティーチャー』として活躍する現役小学校教員。 自分や家族、そして教育に関わる全て人達の笑顔ために日々発信中。 ならないと思っていた教員という職業と恩師との出会い 両親共に教員という家庭に育った幸先生。教員として働く両親を見て、どこか寂しさを感じていたと言います。 「両親は本当に毎日忙しそうでした。家族との時間をしっかりと取れない二人を見て、そんな働き方はもったいないなぁ…と、幼いながらに感じていました。」 教

「勇気を引き出す人になる。」―ラジオ局から小学校教員へカズさんの軌跡―

現役小学校教員のカズさん。音響関係の仕事から教員へ転職。自身の知識や経験をアウトプットするために、noteを開設し発信中。 31歳で教員免許を取り、教員になる事を決意。現在小学校教員として、特別支援クラスを受け持つカズさん。 学生時代の成績はオール1か2。 『させられている勉強』に全く身が入らず、教員になんてなれるはずがないと思っていたそうです。 「学生時代はラジオやアニメが好きで、声優に憧れていた事から、音響関係の専門学校に入りました。そこからラジオ局へ就職が決まり、1

「幸せの連鎖を起こしたい」―農業×教育で人と人とが繋がるコミュニティ作りを。伊藤@はたけのせんせい―

伊藤先生 不動産会社員から小学校教員へ転職。子どもたちはもちろん、先生同士の関係も良くなるような働きかけを軸としている。次は農業×教育で「人と人とが繋がる場」をつくろうと奮闘中。 売上のため?自分のため?人の幸せを本気で考える仕事小学校教員として来年で10年目を迎える伊藤先生。 教員になる前は不動産会社で働いていたと話します。 祖父が大工だった事から建築関係の道に進み その後、不動産会社に入り土地や建物を売る仕事をしていたとの事。 しかし、その働き方と心にズレを感じ始め