【読み切りドラマ】小説「スズラン」
才能と努力は、虚像と実像のようなものである。
「スズランの花言葉って知ってる?」
広大な植物園には、ピンク・黄色・赤・紫、色鮮やかな花が咲き誇る。
その中で、私の目を引いたのはどの色にも染まらないこの場所。
そこで、持参した組み立て式の椅子に腰掛けて、ありったけの画材を並べる。
すると、その花に吸い寄せられるように1組の家族が近づいてきた。
眩しいほど白いワンピースを来た小さな女の子は、目の前の花の花言葉を尋ねた。
「幸せの再来……」
その質問に答えたのが私であることに、自分も家族も驚いた。
いつもは、集中すると周りの音なんか全く聞こえなくなるのに。
「ピンポーン、お姉さんお花好きなんだね」
そう言った女の子は、両親に手を引かれてずっと向こうまで行ってしまった。
自然で彩られたキャンバス、その真ん中にスズラン。
恐らくこの世で1番純白のスズランだ。
だから、そこだけには絵の具を落とさなかった。
その後も何人かの通行人に褒められたこともあり、この絵は来月の個展に飾ることに決めた。
空がオレンジから赤に染まり始めた。
スズランも空の色が反射して、もはや白ではなくなっている。
画材を片付け、個展の打ち合わせへと向かった。
「どうして個展しようと思ったんですか?」
窓の外は真っ黒にべた塗りされているようだ。
個展の話をこちらに持ちかけた大人は、10分ほど遅れるらしい。
会場を貸してくれるおばあさんが青く透けたバタフライピーの紅茶を運んできた。
ほんのりと爽やかなハーブの香りが鼻から抜けていく。
腰を曲げたおばあさんはティーカップを私の前に出しながら、個展をする理由を尋ねた。
「コンテストで賞をもらったのがきっかけで、声を掛けてもらいました」
カランと角砂糖を1つ青い底に落とし、淡々と質問に答えた。
そう言えばコンテスト授賞式の日は、確か春の訪れを感じる風の強い日だった。
その日まで入賞した実感は湧かず、結局ドレスアップしても少し濃いめの化粧をしても、いつもの日々と心持ちは変わらなかった。
式が終わり、会場のロビーで写真を撮る人達を横目にソファに腰掛けた。
心持ちは変わらずとも、非日常な空間に気が張っていた。
「やっぱり才能あるよな」
少しだけ懐かしさのある声が左後ろから聞こえ、日常に引き戻される。
「えっ」
慣れない楕円形のイヤリングを揺らしながら振り向くと、チャコールグレーのセットアップが見えた。
「なんで……!?」
中学に上がるまで、一緒に遊んだ3つ上の幼なじみだ。
もう久しく会っていない。
背が伸びて、顔の輪郭はシュッとしているが、存在感のある鷲鼻と小ぶりな耳は変わっていない。
彼は少し照れた表情をして頷くと、後ろにしていた手をヒラっと差し出した。
「授賞おめでとう」
手にはビニールの包装紙に包まれた花が煌めいている。
真っ白なスズランだった。
もう春だというのに、それは白雪のようで冬の朝の香りがした。
私は驚きと嬉しさのあまり、目を丸めて彼を見つめた。
「相変わらず綺麗な目だね」
その変わらない褒め方に少し恥ずかしくなる。
今は世界のどんな色も、このスズランの助演でしかない。
「今からどっかいかない?」
そう言いながら、彼は半歩だけこちらに近づいた。
イヤリングを縦に揺らすと、彼はくしゃりと目を細め口角を上げた。
私はすぐさま微笑み返し、近くのカフェへ向かった。
お店に入るとすぐ、お互いブラックコーヒーを頼んだ。
久しぶりの再会に鼓動は高まり、頬は緩む。
風で乱れた髪を丁寧に直すと、彼は届いたコーヒーを見つめながら口を開いた。
「受賞作品、色づかいが素敵で驚いたよ」
いつでも彼からの言葉は、水彩絵の具を広げるように心に染み渡る。
「本当に良かったな、だから才能あるって言っただろ」
その言い様はあのときのままだ。
私は、初めて彼に絵を見せたあの日に同じような言葉をもらった。
あのときの胸の高鳴る理由は今なら分かる。
それは憧れだ。
その後は特に何を話すわけでもなく彼とは別れた。
どうして彼は授賞式に来たのか、知りたい気持ちはコーヒーの黒さに紛らわせた。
春の天気はよく動く。
あれよあれよと毎日が過ぎ、個展は最終日。
木々が心地よいリズムで揺れている。
こんなに穏やかな日なのに、彼は今日も来ていない。
するとカランカランとドアが鐘を鳴らし、革靴の男性がそっと入ってきた。
お昼休みの会社員のような風貌だ。
あの白いスズランの絵を、金魚のような目でじっと見ている。
「あなたが描いたんですか?」
その人はスーツには似合わない軟派な男に思えた。
「そうですけど……」
拭えない嫌悪感が浮き出る。
「どうしてスズランなんですか?」
男は絵から目を逸らさないまま聞いてきた。
「どうしてって、なんとなくです」
机にあるカフェオレを飲みながら答えた。
「へー面白いですね」
ただ素直なだけなのか、小馬鹿にしているのか、この人は分からない。
その後もどうして白を使ったのかなど、いくつかの疑問形を突きつけられた。
お昼休みの終わりが近づいたのか、知らない間にその人は帰っていた。
きっと暇つぶしだったのだろう。
あっという間に外は暗くなり、もうすぐ丸く満ちそうな月がこちらを見ている。
展示を片付ける時間が来た。
円形の椅子から立ち上がろうとしたとき、コンコンと扉が叩かれた。
「なんだ、あなたですか……」
お昼のあの人だった。
仕事帰りらしく疲れが顔に出ている。
さっき施錠したばかりの鍵を開けて、ドアの少しの隙間から覗いた。
「あの……もう片付けるところなので申し訳ないんですが」
「じゃあ手伝います」
即答された。
「あ、いや私だけで」
丁重にお断りするつもりだった。
「どれから片付けたらいいですか?」
品のある顔にその言動はどこか似合わない。
たったドア1枚だけ、その隔たりがなくなった。
なくしたのは君だ。
「その前にこれ」
私の目を見たまま、はにかんで渡してきたのはスズランの束だった。
ピンクのスズラン。
「どうしてピンク?」
まず出てきた言葉がそれだった。
綺麗や素敵やかわいいなんかではなく、疑問ばかりが浮かんだ。
「なんとなく…っていうのは嘘で、甘いからです」
全く分からない。
ピンク自体が甘い色なのか、砂糖のような甘さを想像したのか、実はスズランは食べると甘いのか。
「甘いってどういうこと?」
早く白黒はっきりさせたくてストレートに聞いた。
「その手を見たらどれだけ筆を握っていたか想像できます、だからもっと自分に甘くなってもいいのにって」
やっぱりあなたにその言動はどこか似合わない。、
「とりあえずコーヒーでも飲みに行きませんか、もちろん砂糖多めで」
花を見ながらそう言うあなたに気づいたら心が包まれていた。
そして、なぜか腑に落ちてやっと花を受け取った。
「ありがとう」
その後はさっさと片付けを終わらせて、顔に似合わず甘めなその人とカフェへ向かった。
生暖かい風が吹いてきた。
春が来たようだ。
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