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私が先生になる理由

今日が最後の記事になる。

ここまで、ひたすらに「生徒」としての記憶を振り返ってきたけれど、今日は、イマを書いてみようと思う。


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明日から、「先生」としての人生が始まる。


「なんで先生になろうと思ったの?」

そう聞かれることは多い。


正直なところ、気がついたら先生になる道を選んでいたというのが真実なのだけれど、
それを言語化するために、人生の色んな出来事を重ね合わせて説明する。

決定的な理由を一つ挙げるとすれば、
こうまとめられると思う。

「自分がお世話になった先生たちが、キラキラしていたから。」


教員は、ブラックだの、割に合わないだの、とよく言われる。

確かに労働環境は過酷だと思う。

でも、私が見てきた先生は、本当に楽しそうに、生き生きと仕事をしている方が多かった。

その姿を見ていたことが、知らず知らずのうちに自分に影響を与えてきたのだと思う。

私にとって「教師」という職業は大変というイメージと、これまで出会った一人一人の「先生」のキラキラとした表情は、紙一重だった。



「大学を卒業して何をするの」と聞かれて、「先生になります」と答えると、
「ええー、もったいない!」
と言われたことが何度もある。


もったいない、か。

じゃあ、「もったいなくない」職業って、なんだろう。


国際公務員?外交官?官僚?

確かに、自分が今までやってきたことの延長線上には、多くの人が憧れるような職業が映し出されるような気もする。

でも、何で教員は憧れの仕事じゃないんだろう。


世界のことを何も知らなかった私が、色んな価値観を知り、生き方を知り、見たことのない世界に飛び込んでいく勇気をもらった「教室」は、私にとっての憧れの場所なのに。



「先生になるなんてもったいない」と言われる、その事実こそが、私が教員をする理由だ。


今、「もったいない」と評価されて、子どもたちから遠いところにいる大人が、もっと身近にいるような教育に。

教室と世界のハブになってくれるような大人とたくさん巡り合うことができるような教育に。


私が私らしく生きる姿が、誰かの人生を変えるかもしれないし、

教室で出会った子どもたちが、私の人生を変えるかもしれない。


いや、変えても良いし、変えなくても良い。

私はとにかく、憧れの場所に戻る。



怖さと、ドキドキと、ゾクゾクと、ワクワクと。


ただひたすらに自分らしく、輝くために。


行ってきます。

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