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私が生きづらい理由。

私は社会に馴染めない。

正直、これが原因で何度も死のうと思った。それでも、私はなぜか社会の一員として生きたい!という矛盾を常に心に抱えている。そんな私が日々感じている、私の生きづらさを少し書いてみることにした。

これを読んだ人が、私のように感じる人もいるのだなと少しでも思ってくれたのだとしたら、それはとても嬉しい。

*写真は日本での生活が窮屈になり、自由を求めてエジプトの砂漠で一夜明かした時の写真。

私が生きづらい理由

私は「普通」が理解できない。これが私の生きづらさの1番の根源だと思う。
理解できないものを「そういうものだ」と押し付けられても納得できないのだ。

私の感じる生きづらさ

社会が「そういうものだ」と思っている「当たり前」は数え切れないほどある。

例えば、恋愛。
私には「好き」や「恋愛」という概念が難しい。私には誰か一人だけを特別に好きになる、ということが理解できないからだ。だから自分のパートナーを「彼氏」と紹介するのも嫌いだ。その言葉には一般に人が想像する「恋人」という概念が紐づいるからだ。

「それじゃ彼氏がかわいそう。」

この言葉は今まで100万回は言われただろうか。笑
確かに私は完璧なパートナーではないと思う。だが、彼氏がいる女性なんだからこう振舞うべき、そうじゃないと可哀想、というのは納得がいかない。だから、言葉自体に「当たり前」が付随する「彼氏・彼女」という言葉を使って自分の関係性を表すのが嫌なのだ。
(ちなみに、私は今自分のパートナーのことをハワイ語で家族という意味のオハナと形容している)

伝えたいこと

こんな感じで私は日々「当たり前」が乗り越えられずに苦労している。
日本で私のような人間が広く受け入れられるのも難しいのだろうと学んだ。

でも、私はここで諦めたくないと思った。

私が諦めたら、私と同じ理由で嫌な思いをする人がきっとでてくるだとうと思ったからだ。だから伝えたかった、私のような人間もいるということを。

ここまで読んでくださった方に、この思いが少しでも伝わっていたら嬉しい。
そして、この世の中の「普通」「当たり前」を少しだけでも考え直すきっかけになれたのだとしたらもっと嬉しい。

そして、これからはこのnoteに私の抱える生きづらさや思いをありのままの姿で綴っていけたらと思う。

お礼

駄文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
心より感謝を込めて。

うみ



サポートはとっても嬉しいですが、それよりもそれぞれが生きやすい社会になるように行動してくださったらもっと嬉しいです。あと、読んだよーって声をかけていただくと、私のやる気に直結します。笑