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意見をすり合わせていく時に起こる障壁

「看護さんたちで意見統一してください。」

そう言われることが、たまにある。というか、けっこうあるのです。

ある利用者さんが、緩下剤を20時に内服していて、排便がいつも22時〜23時にある。トイレに座らないとできない方で(ほんとうは、排泄意があるのなら、トイレ誘導するのがベストだとおもうけど)、トイレ誘導をしている。だけど、ご本人も苦痛に感じている。寝る時間帯でもあるし。だから、緩下剤を朝飲んでみるのはどうだろうか。

介護士さんからそう相談を受けました。
緩下剤の多くは8〜10時間で効果があらわれるため、寝る前に飲んで、朝起きてご飯を食べたあとに起こる胃結腸反射という反射と薬の作用をあわせて排便をうながすことを目的としているんです。

だから、寝る前に飲むことがおおいんです。

だけど、この方の場合、どういうわけか夜中の時間帯に行きたくなることが多いから、日内リズムを整えるためにも、また、夜にトイレに行くことの苦痛を訴えられていることもあるのでその苦痛の軽減のためにも、くすりを飲む時間を変えてみてはどうか、という提案だったのです。

わたしは、1週間くらい試してみてもいいんじゃないか、とおもいました。なぜなら、人間のからだは《 1+1=2 》というように四角四面でできてはいない。

ふつうとはちがう飲みかたでも、やってみればこの方にはもしかしたら合うかもしれない。変わらなければ戻せばいい。そう思ったんですね。

わたしが最初に相談を受けたので、ある程度ちゃんとしておきたいと思ったんです。それで、申し送りをするのに、

「朝飲むのに変えて1週間様子を見る、ということにしてもいいですか?」

と介護士さんに聞きました。すると、

「さっき別の看護のWさんからは、今日だけって言われたんですよね。ある程度様子を見ないとわからないと思ったんですけど」と。

そのWさんとは、試してみる、ということで話はまとまっていたのですが、『1週間試してみる』というわたしの考えと、『今日やってみて判断する』というWさんの考えとはちがっていたんです。

そこで、介護さんの意見として「様子を見ないとわからない。だから1週間やってみてもいいんじゃないか」という意見があれば、それとあわせてその方向で看護スタッフのなかで話し合いをしようとおもったわけです。

それでも看護のなかで意見が分かれて、別の方法を、ということになればそれはそれでしかたのないことだけど、ケアをするのは看護師ではない。むしろ直接関わっているのは介護士さんなわけです。その介護士さんの意見をきいたうえでくすりの調整をしながらコントロールしていけたら、と考えたのです。

ところが。

「看護さんで意見を統一してください。人によって意見が違うと困る」

そう言われてしまったんです。

これはけっこうショックでした。
おなじ職種だからといって、価値観はもちろん知識や経験、考えかたはまったく違う。すなわち、意見がまったくおなじなんてわけがないんです。

チームで働いているのだから、想いや都合をはなしあって、どんなふうにすれば利用者さんや介護さんにいいケアができるのか、を模索していくためのはなしあい、なはず。

その道の途中で、そんなふうに言われてしまったら、
「わたしたち関係ないから、あなたたちが決めて、それに従うだけだから」
そんなふうに言われているように聞こえる。

まあ、その日はわたしはその話し合いから離脱しなくてはならなかったので、あとはおまかせしたのですが、なんともいえないきもちになったし、正直もういいや、と思いました。

チームってなんなんでしょうね。

看護師も介護士も介護福祉士も調理師も栄養士も、みんなその道のプロフェッショナル。看護が上で、介護が下で、とか、そういう関係ではないはずなのに、そういう構造がずっと残っているのでしょうかね。

意識って変えるのはむずかしい。
でも、なんのためにこのしごとをしているのかを考えたら、どんなふうに意見を調整していくのがいいか、とか、すり合わせていくのがいいか、とか、譲歩したり曲げたりしながらも見つかる気もするのですが。

意見って、統一するものじゃなくて、すりあわせていくものじゃないのかな、と思うのですが。

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