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「虐待」はあなたが判断しなくていい。

「なんか最近、明け方にいつも隣からどなり声がするのよね」

半年以上も前のことだ。
母が不安げにつぶやいた。
母は隣の家に面した部屋で寝ていて、夜中や明け方に男性のどなり声が聞こえてくるのだという。

ふうん・・・と聞いていたけれど、それは次第に夜中だけではなく、昼間にも聞こえてくるようになった。

「せんでもええって言いよるやろうがー!!」
「なしてそねーなことをするほかな!? せんでもええっちゃ!」

料理のしたくをしようとしているのだろうか。
隣の家ではボヤさわぎが起きたこともあった。認知症じゃないだろうか、と、近所ではうっすら感じられるできごともあったようだった。
高齢の母と、仕事には言っていると言うがなんの仕事かもはっきりしない、近所付き合いのほとんどない息子とのふたりぐらしの家だった。

そのうち、昼間に外をあるく高齢の母親にあざができていることがあった。

近所一帯に親戚や血のつながりがあるひとが多い、田舎のちいさな地域のはなしだ。その母親と血のつながりがある近所のひとに相談をもちかけた。

ーーー虐待にあっているんじゃなかろうか。

なにかあってからでは遅い、と親戚に相談したものの、息子との会話がなかなかスムーズにいかず、ことはまったく進まなかった。

「認知症じゃない」
「あの病院に行ったら薬づけにされて寝たきりになる。」
「わしがみるからええ」

そんなふうに返ってきて、いっこうにとりあってはもらえなかった。

虐待は通報しなければ。
そうおもえばおもうほど、でも、親戚や近所一同で見守っている状況のなか、あえて通報という道をえらべば、誰が通報したのかわかってしまう。
息子は、近所付き合いもなく、どんな態度に出られるか、皆目検討がつかなかった。
わかっているのに通報できない状況がつづいていた。

それからしばらくして、家の目の前でその高齢の母親が立てなくなった。
足が立たなくなり、近所のひとの手を借りてなんとか家には戻ったものの、しっかり立てる状態ではなかった。
明らかな脳梗塞ではないけれど、小さな梗塞や一過性に血管がつまった可能性も考えられたので、近所にいる親戚などがあつまり、救急車で病院へいくこととなった。
息子は携帯を持っているということだが、母は連絡先がわからなかった。

到着した救急隊は、顔にあるあざを見て
「ここどうしたんですか?」
と聞いていた。
それくらい、あざは自然にはできないだろう場所にできていた。

受診の結果、虐待が疑われる事例であるということで、ケアマネージャーが入り、地域で介入することとなった。

まずは、ホームヘルパーが入り、デイサービスに通いながらあざの経過を観察していくことになった。

だけど、デイサービスに行くと他のひととの会話やレクリエーションなどで興奮気味になり、またやる気になったりして、料理をしなければ、と以前よりも動くようになった。
すると、息子のほうもさらにどなり声をあげ、あざが増えていった。
元気になってはあざができ、そしてデイサービスをやすみ、次に来たときにはまたあざができ、というようなことのくりかえしだった。

あるときにははだかエプロンで外を歩いていることもあったりするほど、傍からみても認知症の症状は悪化していた。当初の要介護認定では要介護1だったけれど、見守りの必要な時間はどんどん増え、どう考えても要介護1ではなさそうだった。

それでも、事態は変わらず、いつなにがおきてもおかしくないほどだった。

ある日、高齢の母に高熱が出た。
病院を受診したが、状態的には入院するほどではなかったのだが、結局そのまま認知症の専門病院に入院することになった。

そんなふうにして、《 虐待騒動 》は幕を降ろした。

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ケアマネージャーの試験を受けようとおもったのは、そんなできごとも理由のひとつではあった。
あのときなにができたのだろうか。
もっとできることはなかったのだろうか。
もちろん、その当時は、わたしは関係者のうちのひとりに過ぎない。専門家として関わることができたなら、なにができたのだろう、という想いがずっと消えずにいた。

今回は、いのちに関わることにはならずに済んだけれど、なにか起きていたとしてもおかしくはない。
引きこもり気味の64歳の息子と母親の二人暮らし。
高齢者の虐待でいちばん多いのはこのパターンだ。

母親だけでなく、引きこもり気味の息子への支援だって必要なはずだ。

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ケアマネ実務者研修のなかで、地域包括支援センターの所長さんは言っていた。

あなたが虐待かどうかを判断する必要はないんです。

虐待の通報者の1位が警察で、2位がケアマネなのだそう。
つまり、ケアマネはもっとも虐待に気づきやすい専門職であるということ。

「虐待かどうかわからないし…ねぇ…」
と、とあるケアマネは言っていた。けれど、虐待かどうかを判断するのは市町村の高齢者虐待窓口から先。コア会議のメンバーで状況を確認して話し合いをして、緊急隔離の必要があるかどうかを判断していくのだそう。

「虐待のつもりなんかない。ただ一生懸命にしただけなんです」
「ただ力が入りすぎちゃっただけなんです」

そういうことばに、「虐待じゃないかもしれない」そうとまどってしまうけれど、所長は言う。

「あざがある、その客観的事実のみで判断します」と。

どこからが虐待なのか、わからないから余計なことはできない。自分が通報したってバレたらどうしよう。

そうおもってしまうかもしれないけれど、でも、相談してみるだけでいい。虐待を疑われて通報された3万件のうち、虐待だと認定されたのは17000件。つまり、通報したからといって、虐待として処罰されていくわけじゃないのだ。

だから、おかしいとおもったら、相談するだけでいい。
それで救える命があるのだから。

あなたが虐待かどうか、判断しなくていいんです。

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