子どもに「世界は私の味方」と思えるように育ってほしい。母である私が心掛けていたこと
7年前に長女を出産してから、
子育てする中でひそかに
子どもにこういう感覚が育ってくれたらいいな、というものがあります。
それは、「世界は私の味方である」という感覚です。
この感覚の重要性について自覚したのは
アドラー心理学の考え方に基づいた育児書を読んだときでした。
自分が読んだのはこの本ではなかった(もっと読みにくかった)んですが、今はこういうのも出ているのですね。読みやすそう。
アドラーの根本思想は「共同体感覚」です。
「共同体感覚」が個人や人類の幸せの根源である、と
アドラーは考えていました。
では、この「共同体感覚」とは何かというと、
自分が当時読んだ本には「共同体に自分の居場所があり、
他人と世界が味方であると思えること」と。
つまり、子どもが「世界は私の味方である」という感覚を持てると
とても生きやすい、ということが書かれていた記憶があります。
この考え方を知り、
とても納得する部分がありました。
というのも自分自身に「世界(世の中)は私の味方である」という感覚が
全くなく、生きづらさを感じていたからです。
それはおそらく、自分の両親が
「世界は私の味方である」という感覚がなく
生きている姿を見て影響を受けたのは少なからずあると思います。
両親はとても繊細な人たちで、
家の一歩外に出るととても傷つくことが多く、疲れているばかり。
「家が一番安心」というのを背中でひしひしと感じていました。
「お父さんお母さんを傷つけ、疲れさせる世の中はひどくてつらいことばかりなんだ」と思わざるを得ませんでした。
理由はそればかりではないとは思いますが、自分もまた家の外に出ると
疲れてしまうようになった要因の一つだと思います。
「家の外でも中でも同じように自由に息が吸えたら」
「家と同じような感覚で外でも生きられたら」
という気持ちでずっと過ごしていました。
娘が生まれたとき、
私と同じようにはしたくないと思いました。
娘には、この世の中は安心で、深く息が吸えて、
自由に気楽に生きて欲しいと思いました。
そのためにはまず母である私がその姿を見せなくては、と思いました。
子育てにおいての母親の重要性は言うまでもありませんが、
心理学において
「子どもは母親によってはじめて世の中の意味を知る」
というのは強固な事実だと思います。
「母親を通して世界を見る」「はじめて世界が言葉(意味)になる」
ということで、
「母親が『きれいだ』といういうものを
子供も『これは【きれい】なものなんだ』と知り、
結果として「これはきれいだ」になる、という意味です。
これを知ったとき、「妊娠して生んだだけでも命がけなのに
そんな重責を背負わせないでくれよ・・・」とげっそりしました。
しかし、自分の生い立ちを鑑みても納得するところではあります。
自分を体の中に入れ、出産してくれ、授乳(もとは母親の血液)をし、
一般的にもっとも長い時間一緒にいる母親という存在は、
特に幼少期においては母親は
「自分の半分」のような感覚なのだと思います。
自分の半分がきれいと言い、悲しみ、喜ぶものは
同じように感じられるのは当然のことです。
だったら自分が変わらないとと思いました。
プレッシャーでつぶされそうになる時もあるけれど、
できればその役割を誇りをもって全うしたい。
おそらくこれが、自分が生きている中でできる
最も尊い仕事なのだからと思いました。
長くなってきたので、その2に続きます。
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