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【楽に生きるための考え方】他人に期待しないということ

思えば学生時代から、自分は人よりメンタルが強いんだろうなと感じていた。より正確に言うなら「ストレス耐性が強い」だろうか。
思い通りにいかないことがあっても、多少のことでは気に病まないし、人に怒ることも少なかったから、「優しい」と言われるとちょっと違うのだが、元々感情の起伏が激しくないのかなと思っていた。

でもある時、人と話していて気付いた。
私のこれは「他人に期待していない」だけだと。

先ほど述べたストレスの要因となる「思い通りにいかないこと」、これは大抵の場合、他人や物事への期待を裏切られることと繋がっている。
その期待が大きければ大きいほどストレスになるし、感情も動く。
だからそもそも「思い通り」を期待していなければ、ストレスにもならないし感情も動かないのだ。

そしてさらに、最近気付いたことがある。
「他人に期待しない」にも2種類ある、ということだ(もっとあるのかもしれないが、一旦2つに分けられるものと考えて話を進める)。

「他人に期待しない」で上手く生きている人には、
①他人に期待することを諦めているタイプ
②そもそも期待する程の望みを抱かないタイプ
があり、どちらの要素も持っていたとしても、その比率によって結構言動に差が出るものだ、と考えている。

私はどちらかというと前者が大きいので、自分がしてもらって嬉しかったことや、してほしい、するべきだと思ったことはできるだけしようと思っているが(勿論相手の性格によって判断する)、「勝手にやっているだけ」という感覚で、別に見返りは求めないし、他人に同じことを強要する気もない。
後者は望みを抱かない=知らないものだから、人にもしようとかしてあげたいと思うことが少ないのだ。
ここに「気付き・気遣い」の差が生まれてる気がする。

最近そう思ったのは、結婚生活の中で、似たタイプだと思っている夫との違いを感じたときだった。
夫は圧倒的後者のタイプで、そこが楽でもあるのだが「気が利かない」と感じることが多い。
例えば病気になったとき、自分で何とかできないこともないがやってくれたらいいなと思うようなことが、言わないとわからなかったりする。
別記事で書いたが妊娠中にコロナになり不安としんどさが押し寄せていたとき、ちょうど年末年始の休みでご飯を作ってくれていたのはとても有難くて本当に感謝しているのだが、薬を飲みたいから1日3食規則的に食事を摂りたかったのに、朝は夫が起きないので自力でどうにかしたし、昼も夜もこちらから声を掛けるまでずっとテレビを見ているか寝ているかだった。私だったら、薬を飲んだ方がいいんじゃないかと考えて、寝ていても軽く声をかけるくらいするし、親にもそうしてもらっていた。
また、冷蔵庫の中身の賞味期限も全然把握せずに食事をしてしまうので、後から捨てる羽目になった食材もちらほらあった。
…いやまぁこれは言うなればただの愚痴なのだが、健常時私がやっていた(言っていた)ことを何も見ていないからそこに気付かないんだな、と思い、余計に疲れた自分がいて、でもよく考えると今まで相手はそういうことを望んだことがなかったのだと考えられる。

これは、必ずしもそうとは限らないが、男女の感覚の違いとも言える部分があると思う。
女性の社会進出においてよく長所とされる、「女性ならではの細やかな気付き・気遣い」。男女の脳のつくりが…とかどちらがどう優れている…とか言うつもりはないのだが、学校をはじめとした社会生活の中でどうしても同性と過ごす時間が長いと、女子界で過ごしていると感じる他人への要求が、男子のそれと質も量も違う気がするのだ。
女性は共感力が高いと言われている。自分がそれを望んだことがなくても、直接的に言われなくても、「こういうことを望んでいる子がいる」と間接的、あるいは感覚的に知る機会があるだけで、あらゆる状況において考えつく望みのレパートリーが増え、言動の選択肢も自然と増えていく。

これは望みや期待だけでなく、考え方や価値観全体に言えることだと思う。
例えばSNSでバズっている文章に対して、自分が感じたことと同じコメントもあれば、今まで考えもしなかった捉え方をしているようなコメントもある。それを否定するのは間違いで、大抵の場合「価値観の相違ですね」で片付く問題(逆に言えば一生平行線)だ。
要は自分と異なる考え方をどう知りどう受け入れてどう活かしていくかが重要で、社会生活や人付き合い、コミュニケーションにおける手腕が問われる部分である。

今回、表題に「楽に生きるための考え方」とつけたのは、それによって自分の生きやすさが変わってくるからだ。

「他人に期待しない」ということは、自分と異なる考え方があることを認めて受け入れることで、思い通りにならない方が普通だと思うこと、つまり今まで思い通りになると思い込んでいたことを諦めることである。
そして、異なる考え方がどれだけあるかを少しでも多く知ることで、自分の中の「当たり前」、すなわち期待をなくすことができる。期待しなければ裏切られることもなく、それによってダメージを受けずに済む。

さらに、もし可能なら、他人の「当たり前」を察知すること。
それによって、もし期待を持ってしまい裏切られたときにも、あぁこれが相手の「当たり前」なんだ、と自分を納得させ、感情に折り合いをつけることができる。
また、相手の「期待」に気付き無理なく対応することができれば、気持ちの良い関係を築けるし、相手もそれなりに察知能力が高ければ、自分の「期待」にも気付いてもらえるかもしれない。
…これこそが危うい「期待」でもあるのだが、考え方を工夫することで少しでもストレスを減らせたらいいなと思う。

一番は、自分が楽に生きるため。
そう思えば、今までストレスだったことも軽くなるのではないかと思う。

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