見出し画像

【よしなしごと】地球温暖化とSDGs 〜主語は明確に〜

先日ニュース番組のコメンテーターが話した言葉に、とても衝撃を受けた。

「地球温暖化や異常気象があるたびに『地球が悲鳴をあげてる』と言うけど、『地球に住む人間が悲鳴をあげてる』だけですからね」

そんなようなことだった。しまいには

「人間の方がより良い住環境を求めて移住すれば良いだけのこと」

と言っていた。

それを聞いて、私が今まで地球温暖化に関する話を耳にするたび抱えていたもやもやが、急に晴れたような気がした。

小学生の頃から、「地球温暖化」について学ぶたび、それは悪いもので、対策するのが当然とされる。
もっと言えば、「人間が地球を破壊している!」「だから温暖化を止めることは人類の責務だ!」というような思想を、当たり前のように刷り込んでくる。

しかし、ある時「人間も地球が生んだ自然のひとつだ」という考え方があることを知った。
自然の一部だから、何をしようがそれが地球の定めだと。なるべくしてなっていると。
逆に、ほんの一部でしかないのだから、地球に影響を与えていると思うことすらおこがましいのだと。

その時から、大声では言わないが、そんな考えを持つようになっていた。
いっそそれで人間が生きていけなくなるなら、人間の方が滅びれば良いと。

近年「SDGs」が取り沙汰され、会社でもいち早く時流に乗り、時に仕事の利益に変えながら取り入れてきた。
こんな思想を持ちながら。
我ながら滑稽だなと思いつつ、仕事だからと割り切って。

ただなにも対策すべきじゃないと思っているわけではない。
今の環境を維持したいのならできることはすれば良いとは思う。
宗教じみた自然派になるほど固執はしていない。

とにかく「すべきだ」とか「してはならない」とか、あたかも自分が正しいかのような意見に強制されるのが嫌なだけなのだ。

だから、地球温暖化について、地球を主語にするのではなく人間を主語にして語る冒頭の言葉は、かなり腑に落ちた。
そうだ。「地球のことを思って言ってるんだぞ!」とモラハラ旦那のごとく偉そうに言う輩が気に食わなかったのだ。

子どもを持つ身としては、確かに良い環境を残してあげたいとも思う。
だけどそれはこっちの、個人的な都合だ。
主語を履き違えてはならない。
地球のためではなく、人類のためだ。
無理だったら、より良い環境を求めて移住するだけ。
それが難なくできるほどの財産と、正しい判断をするための知識や経験などを残す方が、ずっと合理的で現実的な気がした。

再度言うが、環境保護活動やSDGs啓蒙運動等について否定をするわけではない。
それを正義に強制すること、偽善者ぶることに嫌悪感を抱いているだけだ。

無駄遣いをしないという考えも個人的には賛成だし、これからもできることはやっていくと思う。

ただ、あくまで自己満足、自分のため、人間様の都合だということを、忘れないでいたいものだ。

主語を明確に。正しく認識していたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?