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私が情報の教員免許を取ろうと思ったわけ(3)

言うまでも無く情報の教員免許は高等学校の教員免許の1つです。でもこの情報の免許だけで教師をやっている先生はほとんどいません。理由は採用されないからです。情報+他教科の免許(例えば技術や数学)の先生がほとんどなのです。そして2022年から始まる高等学校・新学習指導要領では情報Ⅰが必修科目になります。これって大丈夫なのでしょうか?

私がこう書くと、教科情報なんて止めてしまえという声が飛んできそうですが、個人的にはこの政策が間違ったものと思っていません。むしろ遅かったと言う気持ちです。教科としての情報が何故必要なのか?その事が社会一般に共有されていないことも問題なのです。教育現場はGIGAスクール構想によって一気にデジタル化が進んだように思います。もちろん使えていないと言う現状も十分承知していますが、それでも大きな変化である事は間違いありません。その点から教科情報を見ると、さほど問題は無いのですが、日本社会(一般の家庭や社会人)から見ると何かギャップを感じるのです。おそらく日本社会はまだデジタル社会ではないことが原因なんだと思います。

ほとんどの人がスマホを持ち、電車の中もバスの中も、病院の待合室もざっと見渡せばほとんどの人がスマホを見ている日本ですが、デジタルを本当の意味で活用できていない社会なんだと思います。企業もそうなのではないでしょうか?一部の大企業やIT業界を除けば割合としてはアナログな社会環境なのだと思います。その人達から教科情報の開始はどのように見えるのか?中々日本の社会が変わるためには時間がかかりそうです。

学校の教員として子ども達と関わり、将来の日本の社会との接点を考えたとき、自分自身が教科情報を行うべきだと考えました。年齢のこともあるので実際に担当できるかどうかはわかりませんが、少なくともその資格があると言うことは極めて重要な事だと思っています。

情報の資格を持って教育に携わるべきだという気持ちは、ICTに関わり、学校にiPadを導入してきた中で実感したことです。もちろん情報の免許がなくてもICTを極めようと努力している先生は沢山いますし、その先生方の成果は素晴らしいと思っています。しかし自分の事として考えると、この資格を抜きにしてこれからのICTにかかわることは出来ないだろうと言う思いで免許取得に取り組み始めました。本校の一部の先生からも、情報の免許を取ってこれから何に使うのか?と聞かれもしましたが、理由はそんなところです。ICTがこれからの学校の教育の核になると思っていない先生にはわからないことだろうと思います。

本校のICTが今後どのように進んでいくのか?私がその木を植え育ててきたICTの木々はこの後どう育っていくのかは、現在の管理職の采配によります。最初に木々を育てても、いつかは他人の手に委ねられるのです。それは仕方の無いことであり当然のことです。

私が勤務校で行ってきたICTによって私自身も大きな成果を得て、同時に多くの事を学びました。他の先生達にも大きな影響を与えた事は確かです。学校も生徒も大きく変わりました。この学校に勤務して40数年ですが、この学校が一番変わった事は唯一iPadを持った生徒が学校生活を送っているという事です。それ以外は客観的に見てほとんど変わっていないと思います。(先生方、そこ、気づいてほしいよ。偏差値じゃないんだよ。部活の実績でも無い。全ての生徒がどう変化してきたかなんだ。)

この学校に対してやってきた事、そして私が受け取ったものはものすごく大きなものです。しかし今現在では私がこの学校に対して与えられる事や私が受け取るものはありません。私の役割は終わったと言って良いと感じています。複数年の労働契約を交わしているのでまだ2年くらいは勤務できるのですが、ICTを実践し、情報の免許を手にした私は全く別のステージで生きてみたいと考えています。勤務校での役割は終わりました。自分から早々に転職活動を始めよう。

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