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高校入試を振り返って(個人的な意見です)

令和5年度の本校高校入試が一段落した。入試は昨日と今日行われ、自分も今日は試験監督も行い入試業務に関わった。中学生がまさに問題に向き合っている時、ふと気になって入試問題のページをめくってみた。その問題は国語の問題。そこで感じたことについて書いてみようと思う。

今回受験した生徒は約1000人。この生徒たちが中学校や塾でどのような勉強をしてきたかも気になるところだが、それ以上に気になったのは、本校の入試がどちらを向いているのか?だった。もちろん「どちらを」の意味は、これまで行われてきた流れそのままの暗記と演習を前提に作られた作問であり、もう一つは新しい学習指導要領の意図を十分にくみ取った作問ということである。

国語の問題を見た限りは、残念ながらこれまでの作問と大きな違いはないように思えた。結局、大きな変更をしない問題で構成されていた。これは公立の出題を想定した「併願校としての練習台」ということを反映しているのか?いやいや公立高校の入試だって変わってきているはずだよなぁなどと思いを巡らせるが、結局は本校としての高校入試がどういう立ち位置なのかが重要なのであって、その点では残念であったと言うしかない。

3限目の監督は英語であった。英語は最初にリスニングテストが行われる。50分のテスト時間の冒頭12〜13分ほどを使うので結構大きな割合である。ざっと問題を見てみると、こちらはかなりの長文問題もあって、「公立とは違うよ」という姿勢を見せている。この部分は一定の評価が与えられるべきだと思うが、作問担当者と話したら「新学習指導要領は知らないけど、その前から独自の入試作問をやってきたので問題はないと思います」という見解だった。う〜ん、言っていることが正しいのか、ちょっと待てよなのかわからんが、学習指導要領くらい読んで理解しておけよということは感じた。

学習指導要領を前提にして、本校として「このような生徒に入学してほしいのです」というメッセージを込めた作問をするのが入試だと思う。この本校としてのメッセージがちゃんと受験生に届くのか?は極めて大切なことだと思う。首都圏といえど、ちょっと田舎の地域では、私立は公立の受け皿的な存在である。だから公立の受験の前の練習台としての私立受験や、独自の色を出した場合、中学校や受験生からもそっぽを向かれるから、色の無い試験問題を作問するという事では、私立高校として将来生き残れるかはなはだ疑問である。その程度で由とするのか?

大学入試も大きく変わってきたとはいえ、私立大学受験については、旧来のままの傾向といった部分が多い。だから共通テストは受けないで私立一本で行くという生徒も多い。(多くなっている)当たり前と言えば当たり前の事だが、大学でも新しい時代にむかう学生を募集するという意欲を見せてほしい。それに答えるのが高校であり受験生である。大学入試も高校入試も、すべての部分で同じような事が起こっており、結局のところ新しい時代を作る意欲があるのか?を学校や社会がどう示すか?であると思う。

本校も変わらなければならない事を学校内部の教師自身が気づき、入試についても改革してほしいと思うが、もしかしたら、付き合いのある塾や受験生から指摘され、外圧によって変わっていく可能性もある。学校教育が変わってきている実感はあるが、すべての地域や学校が変わるのはまだずっと先のことになるのか、気になるところである。

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