教師としての自分に残された時間
このnoteを読んでくださっている皆さんは何歳くらいの人が多いのだろう。おそらく40代、50代の人も多いのかなぁ。それより若い方の方が圧倒的に多いとは思うけど、いずれにしても人生100年時代とか言うのだから、これからもかなりの年数を働く事になるのだろう。
そして私はと言えば、すでに高齢者の一員になっている。高齢の教師である。本人は全く年齢を意識した事はないが、さすがに60を過ぎ、65辺りから残された時間という事を意識する事が多くなった。
本校は数年前に65歳定年制になった。自分の時は60歳定年、65歳まで再雇用という形だったのだが、数年のうちに定年は65歳になった。そしておそらく70歳まで働けるようになるんだろう。教師足りなくなってきているしね。若い人の中には70歳まで働けると歓迎する向きもあるだろうが、現在まさに60歳台になった先生からは、70歳まで働けないよぉという声が聞こえてくる。体がきついとか、今のやり方についていけないとかね。年齢を重ねれば経験も増えてより良い教育者としてやっていけるのかというと、現場の厳しさを重ね合わせると自信が無いという声が上がるのも当然か?と感じる。
もう一つ、今の年配の先生にとって厳しいのは、教育のあり方や手法が大きく変わってきていることだろう。明らかにこれまでの経験が役に立たない状況が教育現場に出てきた。若いときの授業のやり方に年齢を重ねた経験というものが加わって、より円熟味を増すという昔のようなことが無くなってきているのだ。
教育改革、GIGAスクール構想といった時代に合わせた教育の方法を受け入れられるのか、が極めて重要なポイントである。現場ではまだ昔の方法にしがみついて、頑なにタブレットを否定したり、板書をガリガリと書いて授業を進めている先生の姿が見られる。できないならできるようにすればよいのに、へたな言い訳をして自分の教育を正当化しようとしている様子は哀れでもあり滑稽でもある。力を付ければどちらもできる事なのだから。
そんな教育の現場でも、Google、Microsoft、Appleの認定教師というスキルが存在する。ロイロノートなども認定制度を始めている。若い先生から中堅の先生には自分の目標として取り組みやすいし、学校の壁を越えて多くの先生と繋がれるというメリットも大きい。しかし、先ほどから書いてきた年配の先生には、一層荷が重い課題である。取り組むのにも時間がかかり(しかも皆さん苦手意識あり)、場合によっては費用もかかる。自分に残された教師としての時間から逆算して取得するメリットがどれくらいあるのか、、、これまでの教師としてのキャリアやプライドもあるので、それも結構邪魔をする。声には出せないけど、落ちたらどうしよう。黙って受けるか、、取るべきか止めておくべきか。現場で悩んでいる先生も多いのでは無いか。
GIGAスクール構想も世の中的には一段落して、余り話題にならない感じ。でも現場はものすごく格差が付いているに違いない。全くできない学校や先生と、無茶苦茶飛び抜けている学校と先生。それって生徒の側からみたらどんな受け止め方なんだろう。公立の場合は転勤もあるわけだから、その先生が異動したら残された学校は不毛の地になってしまうのか?
と、色々書いてきたが、正解が無い問いがここにもあるって事ですね。生徒に向けてだけで無く教師にも正解のない問いは向けられている。教師は経験だけに頼らず、教師である限りはやり抜くことが求められている。ICTのスキルや認定も同じ。やるべきかではなく、やらなきゃダメだよってことです。(他に先生と付く職業=お医者様や弁護士などもその時代に必要な研修や技術は生涯にわたって獲得して行くわけだからね)教師だけが昔のままに止まっていて良いわけが無い。結論、年配者(自分も含めて)頑張ろうよ。
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