読書日記4

1月
 あけましておめでとうございます。お久しぶりです。読書日記を必ず書こうと思ってはいるのですが毎回、一冊本を読み終わったらすぐ別の本に、何かの気持ちをかき消すように、あるいは自分をごまかすように移ってしまうのでなかなか書けないまま居ました。勝手に書きます。

ディーリア・オーエンズ『ザリガニの泣くところ』

 誰にも心を閉ざした湿地の少女が人間として自然に還る物語である。少なくとも私にはそのように見えた。誰からも心を閉ざしている様に見える主人公がザリガニの鳴くような、人が誰も来ない沼地の奥底で何人かの人と関わる。だいたいは異性で、同性の友達なんてものはこの物語には存在しなかった。野性本能のようなものが、しかしそれだけで終わりにしてはけない気もする。


テイトの献身的な愛情のおかげで、人間の愛には、湿地の生物が繰り広げる奇怪な交尾競争以上のないかがあると気付かされた。けれどカイアは人生を通し、人間のねじれ曲がったDNAにのなかには、生存を求める原始的な遺伝子が今なお望ましくない形で残されている事も知った。
 潮の満ち引きのように果てしなく繰り返される自然の営み。自分のその一部になれれば、カイアはそれで満足だった。カイアは、他の人間とは違う形で、地球やそこに生きる命とは結びついていた。この大地に、深く根を下ろしていた。この大地が母だった。
p,497


いつも思うのだが、物語の主人公は親の近くに居たらなれないのだろうか。でも実際その通りである気がする。親が居ないというか、そもそも親に限らず自分が確立していてもしていなくても本当に一人で何とかしようとした時に物語が動き出すのかもしれないなと。それはさておき、私の人生の目標が山奥のいい感じの苔の上で眠るように死んで苔と一体になって自然に還ることだ。これは3年くらい前に掲げた。これみたいな事をこの本の主人公は行っていて羨ましかった。今、私の周りの若い者たちはスマホばっかりいじってどうせこの物語に登場するような湿地に来ても薄汚いとかで帰っちゃうんだろうな。この少女みたいに膨大な時間を生きるために必死な時間とそして自然と観察しまくる時間を私も作りたい。というかつくる。きっと、画面なんかを捨てて没頭してみると幸せな世界ってのがきっとあるんだろうな。私はそう信じてる。

生物学的な記述も多くみられ読んでいて楽しい。
実際人間というもの生まれてから死ぬまで一人だ。

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