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ムギさんと満月の目玉焼き

 ぱちり、と音を立てて薪から産まれた火の粉が月へと昇る。ゆらりゆらりと揺れながら、見る間に夜空へと吸い込まれていった。ふと、隣を見ると、ムギさんはまだ夜空を見つめている。僕はその横顔へと話しかけた。

「今日の満月は凄いね」
「そうだね。おかげで声の調子が良いよ」

 ムギさんはこちらに向き直って尻尾をくるん振った。ムギさん。ムギチョコみたいな艶やかな毛並みに青い目。短毛ですんなりと長い尻尾の黒猫。僕が産まれるよりも早くからウチに住んでいる先輩。普段は猫語しか話さないくせに、満月の夜になると人語で話し出すきまぐれな猫だ。

 いつものように満月に誘われて窓から抜け出し、2人で夜の散歩に出た。頬を撫でる春風が気持ち良いので、そのままご近所の河原に降りて焚火を始めた。目の前の焚火台には、ぱち、ぱち、と小さな音を立てて、ちんまりとした火が熾っている。今夜の寒さなら、これくらいがちょうどいい。ムギさんは細い目をさらに細めて炎を見つめている。

「なんだか懐かしいな。君のお父さんとも、この焚火台で火を見ていたよ」
「お父さんと?」
「うん。君も一緒にいた時もあったけどな。覚えてないかい」
「うーん。覚えてないなあ」
「そうか。まだ小さかったものね」

 覚えていないかあ、とムギさんが楽しそうに言うのがなんだかくやしい。僕はお父さんが残していったザックから小さなフライパンを取り出して、焚火台の上に十字に組まれている五徳にことん、と置いた。

「ねえムギさん、焚火というのはなんで夜でも明るくて暖かいか考えてみたんだ」
「ほう、なんでなんだい?」
「焚火というのは、木を燃やすじゃない」
「そうだね」
「木はね、光合成ってのをするんだよ。それをすると、お日様の光を栄養に変えて木の中に溜められるんだ」
「良く知ってるね」

 ムギさんが細い目を見開いたので、僕はちょっと嬉しくなった。フライパンの上に、小瓶に入れてきた油を注ぐ。

「こないだ本で読んだんだ。つまり木って、お日様を貯金してるんだよ」
「お日様を貯金?」
「うん。貯金。だから木を燃やすとね、貯金していたお日様が溢れてくるんだ。言ってみればミニ太陽さ。それで夜でも明るくなったり、温かくなったりするんだよ」

 ムギさんはちょっと首を傾げて、こっくりと頷いた。

「なるほど」
「うん。焚火と言うのはね、お日様の貯金を夜に使わせて貰ってるんだよ」
「君は小さなころから時々変な事を言い出すね」

 ムギさんは楽しそうに尻尾をくるくるさせている。僕はベーコンを取り出して手で千切ると、フライパンの上に載せた。とたんにじゅわっと音がしていい匂いが漂ってくる。一瞬、目をつぶってその匂いに鼻を突っ込んだけど、ぶるぶると首を振って塩こしょうを取り出すとベーコンにまぶした。

「いい匂いだね。ベーコン焼きかい?」
「うん。でも、本命はこっち」

 そう言って僕はアルミホイルに包んでいた卵を見せた。割れないように、ティッシュがふんわりと巻いてある。

「なるほど、目玉焼きにするのかい」
「うん。お日様の貯金で焚火をしてるじゃない?」
「まあ、そうだね」
「だから、その貯金で目玉焼きを作ったら、まるでお日様を食べてるみたいで素敵だなって」

 僕がそう言うと、ムギさんはちょっと考えて頷いた。

「満月の夜に、お日様を食べるんだね。お月様じゃなくて」
「うん」
「……なるほど。それは素敵だ」
「でしょ」

 ベーコンで囲いを作り、その中に卵を2つ割り入れる。透明だった白身が、じゅくぶくと音を立ててあっというまに白くなっていく。慌ててペットボトルから水をちょっと入れると、フライパンに蓋をした。隣のムギさんがクスクスと笑う。

「お日様を閉じ込めるんだね」
「え? そういわれると、そうだね。卵の中に入って貰うんだよ」
「ふふ。これはおいしそうだ」

 蓋を開けると、もわっとした湯気の中から黄身に薄く幕がかかった目玉焼きが現れた。早速黄身がひとつずつ乗るようにお皿に移して台の上に置く。

「はい、召し上がれ」
「やあ、ありがとう。少し冷ましてからいただくよ」

 猫舌のムギさんはそう言うと、皿の前にちょこんと座った。僕はそれを見ながら黄身にぷすりと箸を刺す。とたんにとろっと黄身が流れ出してベーコンを覆っていく。そのベーコンを摘まみ、黄身をすくい上げるようにして口へと運んだ。

「うーん、おいしい!」

 思わず目を瞑って天を仰いだ。

「ふふ。じゃあこっちもいただきます。……うん。おいしい!」

 2人して、夢中になって目玉焼きを食べる。ちょっと焦げたベーコンにとろとろの黄身。そして、時々プリッとした白身。いつも食べているはずの目玉焼きだけれども、いつもよりおいしく感じた。綺麗に皿を舐め終わったムギさんが、にっこりと微笑んで聞いてきた。

「お日様の味がしたかい?」
「うん。した。いつもよりおいしかった。たぶん、それがお日様の貯金分のおいしさなんだと思う」
「ふふ。そうだね」
「あとね。もうひとつ気が付いたんだ」
「なんだい」

 ムギさんは自分の手をペロペロ舐めて、それで顔を拭き始めている。

「ムギさんと話しながら食べたから、その分もおいしかったんだよ」

 ムギさんの手がぴたりと止まり、まじまじと僕の顔を眺めてくる。その目は満月のように丸くなっている。

「まったく君ってやつは」

 そう言うと、ふいっと月を見上げて尻尾をSの字に振った。

「でも、そういうものでしょ」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれないね」

 夜空には、満月が煌々と輝いていた。

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