【雑記】隠れた才能があると思い込んでいるひきこもり8年目のワイ

今年でひきこもりも8年目になる。
厳密にはひきこもりではなくフリーターだが、週2しか働いてないのでフリーターと呼べるほどではないと個人的には思っている。

部屋にひきこもって何をしているかというと、もちろんパソコンをしている。
パソコンで何をしているかというと、ゲームか、動画観賞か、ツイッターにお気持ちを書くか、くらいだろうか。
外出するのが苦手なので、パソコン君として働けたらなと思ってそれっぽいことをしたりもしているけど、8年やって何も実を結んでいないのだから諦めるべきなのだろうと最近思った。

それっぽいことというのは、イラストを描くとか、3Dモデリングをしてみるとか、動画編集をしてみるとか、プログラミングをしてみるとか、在宅でできそうなことは大体やった気がする。
やったというか、やった気になっているだけで、どれもこれも作品と呼べるようなものが1つあるかないか程度のことしかしていない。
理想が高くて完成させられないのもあるけど、単に実力がないとか、そもそもビジョンがないとか、主な動機が”焦り”であることとか、要するに「まだ実力を発揮していないだけ」と思い込みたかったのであって、才能が未知数な状態を維持することに意義があったのだと思う。
よくスランプに陥った作家のイメージとして描かれる、「書いては丸め、書いては丸め」を8年やってきたような気がする。
それで最終的に大作が完成するならよかったのだけど。

なぜ今になって悟りだしたかというと、「言語思考者と視覚思考者がいる」という話をちらっと見たからだ。
その話に付いていた「言語で考える人がいるとは思わなかった」「絵を言語に変換するのがしんどい」みたいなコメントを見て愕然とした。
自分はそんなこと思ったことない。
同時に、そりゃ絵なんか描けるわけがないのだと理解した。
言語思考云々が具体的に何なのか理解していないので不正確かもしれないけど、絵でものを考えている人に絵の表現力で勝てるわけがない、少なくとも土台が違うじゃないか、と思った。
そういう意味で、初めからセンスなんかなかったのだと理解すると、途端にやる気がなくなった。

さて、視覚芸術関連から手を引くと、ワイ(ひきこもり)には何が残るのだろうか。
別にあると思い込んでただけで元から無なので残るも何もないのだけど、無駄にやる気をもって取り組んでいたこととは別に趣味でやっていたゲームなんかも向いてないのではないかと思えてきた。
どうせまたやりだすので辞めたとは言わないけど、最近の3Dゲームなんてかなり視覚要素が多いので、視覚思考者のほうが有利じゃないか?
在宅ワークごっこに加えゲームまで取られると、あとは動画・音楽観賞とお気持ち表明(これ)と、暴飲暴食くらいしか残っていない。
暇ンゴねぇ。

ただまあ、逆に、在宅ワークごっことオンラインゲームという有意義ではないことを有意義と認識して頑張っていたのだから、そういう状況から抜け出せたほうが本当はハッピーなのかもしれない。

ハッピーになったとして、自分はその後どうなるのだろうか。
なんかASD(自閉スペクトラム症)らしいので、暇になったからといって、「じゃあふらっと散歩でもしますか」というわけにもいかない。
通り慣れた道や行き慣れた場所にいつもの時間通り行く、とかじゃないとソワソワしてしまうので。

普通の人間の生活すらできないのだから、隠れた才能なんて言っている場合ではなかったのだ。
いや、普通の人間の生活を享受できないからこそ、隠れた才能があってほしいのか。

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