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不思議であったかい(一部怖い)話

今年の2月におじいちゃんが大往生しました。
97歳でした。

実家からの連絡を受け、急いで喪服を用意して帰省しました。
今住んでいる町から実家までは、同じ北海道内ではありますが、バスと電車を乗り継いで10時間ほど。約一年ぶりの帰省でした。

帰省日の前日に徹夜していたということもあり(徹夜の理由はまた別の記事で書きます。)、バス・電車内では半分くらいは寝ていました。残りの時間は「じいちゃんにどんな言葉を掛けよう?」とか、「家族のみんなは大丈夫だろうか?」などと考えながらも、意外にも気持ちは落ち着いていました。
以前からあまり体調が良くないとは聞いていたので、覚悟していた部分もあったからかもしれません。

私はじいちゃんが大好きでした。
じいちゃんが薪割りの後に「手にトゲ刺さったから抜いてくれー」といつも頼んでくる仕事を子供ながらに誇りに思っていましたし、実家がキリスト教なので、毎週教会にじいちゃんに連れられて行くのも好きでした。(教会はあまり興味ないけど、じいちゃんと一緒に行くことが嬉しかった。)
保育所の頃、「100さいまでながいきしてね」と手紙を書いたことも覚えています。じいちゃんは覚えているかわからないけど。
97歳も四捨五入すれば100歳ですね(?)
大した病気もせずとても元気でずっと働き者でした。
歌うことが好きで、のど自慢大会に出たこともありました。

道中、そんな思い出に浸っていました。

実家に着いてじいちゃんの顔を実際に見ると、涙が止まらなくなりました。
1年前に会った時もちょっと痩せてきてはいましたが、2か月間の入院生活でまともに食事もできなかったようで、本当に骨と皮しかないように見えました。

昨年会った時、じいちゃんは私の歌を聴きたいと言っていました。
家族の前で歌うのは恥ずかしかったので、その時は歌ってあげられず。
YouTubeの歌配信を聞かせようかとも一瞬思いましたが、家族にはYouTubeをやっていることも教えていなかったので、色々悩みつつあっという間に一年経って、結局じいちゃんに歌を聴かせてあげられませんでした。
遅くなってしまったけど、せめてと、横たわるじいちゃんの前でカタカムナ(不思議な力があると言われる文字)を全80句詠いました。
隣で父が静かに聴いていました。
じいちゃんは敬虔なクリスチャン(キリスト教信者)なので、カタカムナを詠っても「何のことやら」だったかもしれません。
(誰にとっても何のことやら、かな!?ww)

葬儀は身内だけで行うことになっていましたが、田舎なもので周りに情報が伝わるのが早く、ひっきりなしに町内・町外からも祖父の知人の方々が訪ねて来てくれました。
キリスト教なので基本的にお香典などは受け取らないのですが、そんなこと町内の皆さんが知る由もなく…。(町内で恐らく唯一のキリスト教)
(町の葬儀屋さんにとって初めてのキリスト教葬儀w)
結果的に頂いたお金で、家を建ててから40年ずっと張り替えていなくてボロボロだった和室の畳を張り替えることが出来ました。そしてその和室にじいちゃんの遺影を置くことになったので、じいちゃんの為にもなる良いお金の使い道になりました。

少し怖い部分のお話

これは謎だし少し怖かったお話なのですが、帰省した次の日の夜、寝る時に仰向けになっていると、あるイメージを見ました。
目は開けていたんですが、目の前に、黒い玉がいっぱい付いた黒い鎖鎌のようなものが数秒見えたのです。

実は同じものを、じいちゃんが亡くなる数日前にも見ていました。
目の前にいっぱい広がる黒い玉と、中央に鎖鎌みたいなものがあって、超高速で回りながら目の前に近付いてくるのです。部屋の電気は消していて暗かったのに、それが黒い玉だと認識できるほどそれは黒かった。
それが何なのか確かめようと、十数秒くらいは頑張って見ていたのですが、あまりにも鎌が目の前に来たので怖くなってギューッと目をつぶると、次に目を開けた時それはもう見えなくなっていました。

こんな感じ(再現度高い)

このイメージを見たのは後にも先にもこの2回だけ。
これはいったい何だったんでしょうね~……。

葬儀の日の出来事

そのイメージを見た翌日、葬儀が行われました。
知り合いの牧師さん夫婦が、式を執り行ってくださいました。
昨年の11月に、じいちゃんがこの牧師さん夫婦に「何かあった時はよろしくお願いします」とお願いしていたのだそう。その時からじいちゃんは何となくわかってたのかな…?

じいちゃんを棺に移して、その周りを家族親族たちが取り囲み、お祈りをしたり聖書を読んだりしました。
そして、じいちゃんが好きだった聖歌を皆で歌いました。
前日にこの曲を歌うというのを知らされていたので、少し練習していたのですが、本番はボロ泣きでまともに歌えませんでした。
歌いながら、涙を我慢しようと上を向いていたら、なんと部屋の蛍光灯が「チカチカッ…チカチカッ……」と元気に2回点滅したのです。
楽しそうに聖歌を歌うじいちゃんの姿が目に浮かぶようで、「あぁ、じいちゃんも今歌ってるんだな…」と感じました。
皆必死に楽譜を見ながら歌っていたので、その点滅に気付いたのは私だけでした。
あとから皆にそのことを伝えると驚かれました。

しかしこの後もっと驚くことが起きました。

葬儀が終わって、火葬も終わって、家に帰って家族でのんびりしていた時。
私の兄がうたた寝をしていたのですが、起きた瞬間「じいちゃんが夢に出てきた」というのです。
「知らない男の人だったけど、多分じいちゃんだから、じいちゃんの若いころの写真を見たい」ということで、父にじいちゃんの昔の写真を見せてもらったところ、「この人、やっぱりじいちゃんだった」となりました。

兄の夢の中でじいちゃんはこう言っていたそうです。

手紙が届いた
手紙は速く届いた

誰も持っていない
自分だけが持っている

ばあちゃんが待っていてくれた

イエスさまに会った
イエスさまは、大勢の人に会わなければならないから忙しい

「手紙」とは、葬儀の時に兄がじいちゃんへ向けて読んだ手紙を、棺に入れて一緒に燃やしたものだろうということでした。
「棺に入れて燃やしたものを故人が一緒にあの世へ持っていける」という話は聞いたことがありましたが、あまりにも爆速で届いたようなので、少し面白かったですw

「ばあちゃん」は私が3歳の頃に亡くなっていました。

「イエスさま」はキリスト教の神様のこと。
日本のキリスト教信者は少数ですが、海外のキリスト教信者はとても多いでしょうから、忙しいのは納得ですね。

兄の口から、見えない世界や霊的なものの話を聞いたことは一度もなかったので、皆ビックリしました。

文章も、説明口調の時のじいちゃんっぽいんです。
本当に天国に行けたんだと、家族みんな確信し、安堵しました。

じいちゃんの大往生とこの帰省は、改めてこの家族について考える良い機会にもなりました。今まで色々あったけど、今こうして幸せに過ごせていることが本当にありがたいな~と心の底から思ったのです。

以上、葬儀の時は一緒に楽しく聖歌を歌って、終わったら爆速で天国へ行った、じいちゃんのお話でした。
最後まで読んでくださりありがとうございました!

それではまた!👋

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