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スピリチュアルのような哲学の話

こんにちは!
今回の記事は、最近また夢うつつの中で感じたことについての考察になります。ただただ私の「思考」を書いていくので、私の頭の中に興味がある方か、よっぽどのもの好きの方以外は、本当に興味のないお話になるでしょう。
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最近見た「概念」や「答え」そのものの夢

最近この夢↓を二度みました。

まず、「概念」や「答え」がそこにありました。
でもその「概念・答え」にはモヤがかかっているのです。
自分の「感覚」では、それが何なのか既に解っていて、それが素晴らしいものだと、幸せなものだと感じているのに、自分の「思考」ではそこへ辿り着けないんです。
「あれ何だっけな?ほら、あれ。首まで出かかってるのに…。あぁ引っ込んだ!」
まさにこんな感じで、「思考」によって「概念・答え」に近付いてはいるのに、何度も振り出しに戻されるのです。


寝起きは非常にモヤモヤしました。あっさりと解ってしまいそうでありながら、全く解る気がしない、言葉にするのがとても難しい夢と感覚でした。

これが、後になって「次元の壁」が関係しているような気がふとしたのです。

「次元」について、学生の頃にこんな話を教えてもらいました。

私たちは今いる次元の上の次元を理解することができない。
もし私が0次元(点)の世界にいたら、1次元(線)を理解することはできない。
1次元(線)の世界にいたら、2次元(面)を理解することはできない。
2次元(面)の世界にいたら…
…という風に。

わかりやすい例で言うと、1枚の紙(2次元とする)に鉛筆(3次元)を突き刺すと、紙(2次元)にとってみればそこに何かが「在る」ことしか分からないのだ。そして鉛筆が紙を突き抜けて落ちて行ったら、「在った」ものが「消えた」ように見える。

理論はわかった。でもこの話と夢に何のつながりが?

私は夢の中でその「概念・答え」を感覚的には解っていました。この「感覚的に解る」を1次元や2次元にも当てはめられると思いました。
わかりやすいように同じ紙(2次元とする)で考えてみましょう。

紙(2次元とする)は立体(3次元)を理解することができるのか?

紙(2次元)は横(x軸)と縦(y軸)の概念しかありません。ですが、下の画像のように、紙を何重にも重ねるとそれは「立体になるのです。」

「段々猫」ダンボールクラフトストアより

『言いたいことはわかるけど、そんな単純じゃないよ。』
『紙はどれだけ重なっていようが、結局自分の面しか認識できないんだから「立体」を理解することはできないよ。』

そうですね。
…ん?いや、それだ!!

世界は自分だけだと思うから「立体」を理解できないんです。
もしも自分のような紙が、他にもあるとしたら?
自分は「奥行き」を認識することはできないけど、別の紙が別の「奥行きのどこか」で「面」の世界を作っていたら?
あるいは自分にとって理解できない「奥行き」が、別の紙にとってみれば普通に「x軸」として展開されていたら?
直接的には自分はそれを認識することができないけれど、別の紙が別の所にある可能性は十分ありますよね?

そして先の、紙に鉛筆を突き刺す画像、あの現象が起こった紙は、この可能性に気付きやすいんです。
「おわ!何もない所からいきなり『何か』が現れてそして消えた!!…これは、私の面だけでは説明できない何か、ひょっとしたら別の世界があるのかもしれない…🤔」

このような感じでね。

だから自分しか認識できない紙であっても、自分を俯瞰して見たり、自分以外の存在の可能性に気付くことが出来れば、「立体」を理解することが出来るのです。

もちろん紙は思考することはないので、極端な表現になってしまいましたが、これを踏まえて…。

現実世界を超越する

この現実世界で考えてみましょう。
2次元の世界からは基本的には3次元を認識することが出来ない。
でもこの3次元の世界には2次元って普通に存在しますよね?
アニメやゲーム、パソコンで描いた絵や図…etc.

…これが真理だと思うのです。

「3次元は2次元を内包している」
全ての人に賛同してもらえますよね。だって実際にありますもん。アニメや漫画。

つまりそれと同じように、この世界もまた、より高次元の世界に内包されているってことなのです。
むしろそうでなくては不自然なのです。
パラレルワールド、タイムトリップ、瞬間移動…
大多数の人が「不思議」「不可能」とバッサリ切ってしまう現象事象は、逆に存在している可能性の方が断然高くないですか?

紙が幾重にも積み重なって折り重なって、立体になるように、この世界と同じような世界が幾重にも重なって、より高次元の世界を造っている。
こ・れ・が・普・通!!なんです。多分。
普通に論理的に考えたらこうなるんです。

何で考えようとしなかったのか?この世界だけだと思い込み、完結させようとしていたのか?
「あの人は井の中の蛙だ~」
と人を指差す人ももれなく広義で「井の中の蛙」だったのです。


あの夢の中の「概念・答え」に辿り着くには?

紙は結局、鉛筆を理解できない。

紙と違って、人間は思考し想像できる。

そして今の私は高次元の存在自体は理解できる

これが、あの夢と同じなのです。
「概念・答え」=「高次元」
「感覚的に解る」=「存在自体は理解できる」

でもこれが在る、とは分かるけれど、どうしてもそこへは辿り着けない。
どんなに理論や道順を考えても、振り出しに戻される夢。

いくら思考できたって、辿り着けないんじゃあ、どんな美しい立体を造っているのか知ることが出来ない紙と一緒。

じゃあ、どする?

ここはシンプルに、また紙で考えればいい。
「感じる」ことと「俯瞰」すること。
自分以外の紙の存在を感じ、自分というものを俯瞰して見る。
どんどん離れたところから見てみる。
そうすれば自分がものすごい素晴らしいものの一部だと知ることが出来るようになると思うんにゃ。

自分とは違うところに「在る」ものを感じること。
見えなくても、聞こえなくても、そこに在るかもしれないと。
そしてこの世界で自分がどんな存在か俯瞰してみて、できたら高次元から見た自分も俯瞰して見てみる。これは想像の域を出ないかもしれないけど、想像できること自体が人間のアドバンテージ!

俯瞰する時に、また別の夢で頭の中で聞こえた
「私は全て、全ては私」
という言葉もキーワードになるような気がする。

そしていつか、あの夢の答えが解る気がするぅぅぅ!


な~んて色々考えるのってやっぱり楽しいねーー!!
あー面白かったぁ!
やっぱ考えるの大好きだから、いっぱい考え抜いた上で「感じる」に全振りしたら良い感じになりそう?

ちなみにこれを言うとスピリチュアルに振り切れるけど、最初の夢の内容の、

自分の「感覚」では、それが何なのか既に解っていて、それが素晴らしいものだと、幸せなものだと感じているのに、自分の「思考」ではそこへ辿り着けないんです。

これ、自分の「魂の記憶」によって「概念・答え」が解ってるんじゃないか?と何となく思ってますw
何となくねw

とりあえず今はそんな感じです。

ここまで読んでくださったあなたは神!!
もしくはよっぽどの物好きさん!!w
読んでくださりありがとうございました!✨

それではまた!👋


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