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私の過去:闘病生活とその中での気付き

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大病をしたころから現時点までのことを、ツラツラと書き起こしています。書き出すことで、今まで受け入れられなかった部分が受け入れられるかも…といった気持ちで書いています。
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#脳

7.手も足も重いんだね

そろそろリハビリ病院へ転院することをここで書こうと思っていました。 あー、でも、ちょっと大事なことを書いていないや。と思って少し寄り道します。 手足は神経が通っていなければ重いんだねこれに尽きる! リハビリ病院に転院前は、本格的なリハビリを行っておらず、けれど、肩の筋肉を固まらせてはいけないと自分自身でも考えていたので、左手を添えてバンザイを何度かやっていました。 でも、右側だけで上げると凄く重い。 重い。。。。。 重い。。。。 重い。。。 ここに各部位の重さ

6.なぜ話せない?

友達や親戚たちがお見舞いにやって来るようになって、私はジレンマを抱えていました。 話せないから。 少し医学的な要素が入って来るかもですが、書いてみようと思います。 言語障害を起こしていた端的に言えば「言語障害」を起こしていたのです。 頭の中には単語や文章は浮かんできており、また、相手から話された言葉は耳で聞いて理解はできていました。 でも、伝えようとする機能を失ってしまっていました。 私がダメージを受けた場所は、「言語中枢(ブローカ野)」と「運動野(運動連合野・一

2.あの日の朝 その2

病院に着いて意識を失う。どれぐらい救急車に揺られたのでしょうか。 いつも自転車で爆走していた大きな道路をノロノロと走っていたような、凄いスピードで走っていたのか全く分かりません。ただ、その内病院に到着し、ストレッチャーに移し替えられて処置室に運び込まれました。 私の記憶はここまで。鎮静剤か何かを投与されて、翌日か翌々日にICUで目覚めるまで意識を失っていました。 母からの伝聞ここからは母の記憶です。 到着した病院はER(緊急治療室)も併設された脳神経外科クリニック。救