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私の過去:闘病生活とその中での気付き

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大病をしたころから現時点までのことを、ツラツラと書き起こしています。書き出すことで、今まで受け入れられなかった部分が受け入れられるかも…といった気持ちで書いています。
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#言語障害

13.話しのプロフェッショナルに出会う

専門病院ですから、様々な方がいらっしゃいます。 有名な方から企業の重鎮まで入院・通院していました。 そんな方の1人に入院中出会いました。 私は知らないなー。でも、知る人ぞ知るだった私の転院から1ヶ月前後遅れて入院して来た人がいます。 凄く背も高い方で、車椅子が小さく見えてしまうぐらい。 その人の入院当初、病室にはお見舞い客の雰囲気を持つ人ではない、立派過ぎるビジネスマンが多数出入りしていました。 私、若いじゃん、好奇心旺盛じゃん、興味津々でその病室の前を行ったり来

10.言語聴覚士(ST)のリハビリを受ける

言語聴覚士(以下ST)のリハビリを受け始めました。 この記事にあるように、私は言葉が不自由でした。もっとも、ブローカ野が壊れた「運動性言語障害」だったため、伝達する機能さえ回復できれば元のようにお話ができるだろうと考えていました。 暗算ができなくなった私のSTは、私がどういったことができるのかをチェックしていました。 なんせ昔の話で、記録をこちら側が取っている事でもないから詳細は殆ど覚えてはいません。でも、1つだけハッキリとしたことがあります。 暗算ができない 元々

6.なぜ話せない?

友達や親戚たちがお見舞いにやって来るようになって、私はジレンマを抱えていました。 話せないから。 少し医学的な要素が入って来るかもですが、書いてみようと思います。 言語障害を起こしていた端的に言えば「言語障害」を起こしていたのです。 頭の中には単語や文章は浮かんできており、また、相手から話された言葉は耳で聞いて理解はできていました。 でも、伝えようとする機能を失ってしまっていました。 私がダメージを受けた場所は、「言語中枢(ブローカ野)」と「運動野(運動連合野・一