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私の過去:闘病生活とその中での気付き

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大病をしたころから現時点までのことを、ツラツラと書き起こしています。書き出すことで、今まで受け入れられなかった部分が受け入れられるかも…といった気持ちで書いています。
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#復学

44.装具を外すとき

私は麻痺した足に装具を着けて歩いていました。 この記事にあるレベルの装具ではなかったにせよ、フラットな病院内の廊下ではなく凸凹、傾斜がある一般道では装具を装着しないと怪我をしてしまうため、外すことは叶いませんでした。 そうなると履く靴には限りがあります。 「装具 靴」で検索をすれば分かりますが、靴でのお洒落が出来なくなります。今現在は装具を装着していてもお洒落な靴を履けるように、当事者さんが開発して販売している靴はあります。けれど、当時は開発されてもいなく、私自身も当事

24.大学に復学してみたら

大学は隣の県にあり、ずっと通学していました。 10月から復学ということなので、通学の際に使っていた電車の混み具合を考えると、早朝の普通に乗ることがベストだと考えたのですが、1人での通学はまだまだおぼつかないし、かといって母がついて行くこともどうかということもあって、同期の1人が通学していたので同伴通学を彼女にお願いしたところ、快諾してもらえました。 ⁂ 10月に入り、早朝の6時半前後の普通電車に乗り込みました。 始発じゃないので出発駅には人は多かったです。座って行ける

21.退院する朝

PTの訓練は順調に進み装具も納品され、装具を付けた病院外周のお散歩も平気になったころから、私は次のステップの「退院すること」を考え始めました。 大学も夏休みに入っていましたが、10月から始まる後期には完全復帰を願っていましたし、その前に家での日常生活に復帰をしないといけないので8月のお盆シーズン前に退院することを決めました。 もっとも、180日ルール(標準的算定日数)のリミットにも近づいていたこともあって、退院する方が良いとも判断していました。(2月発症だから、180日後