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神は妄想に聞こえ、悪魔は論理的に聞こえる(その理由は...)

現実について、
「そう考えた方が楽しい!」とか、「そう考えた方が嬉しい!」
という妄想を増やしていくことが大事で、
一般的に言われている真実とか現実とか、心底どうでもいいと思います。

それでは、Sehnendさんの動画です。


悪魔の声は論理的で、もっともらしくさえあるが、
それでも欺瞞である。
神の声は妄信的に見えるかもしれないが、
論理を超えた真実を語っている。

C. S. Lewis

古代の教えは、
すべての人間の魂の中にある深遠な寓話を啓示しています。
それは、すべての人間の魂の中にある2つの声について語っています。
1つは夢の無限の可能性と神の啓示について語り、
もう1つは論理的な慎重さと世俗的な実用主義に固執する声です。
 
前者はしばしば妄想的とみなされますが、それは神の声であり、
あなたに信仰という未知の海に網を投げ入れるよう促しています。
後者は現実主義を誇示していますが、
それはあなたを安全で既知の合理的な方向へ導く悪魔の声です。
妄想と現実主義のこの二分法は、なぜ神が妄想的に聞こえ、
悪魔が現実的に聞こえるのかを探る土台となります。
 

妄想の秘められた意味

妄想は時に狂気の一種として片付けられてしまいますが、
奥深く神秘的な意味を持っています。
それは、論理的な心の限界を超越して、
現実をより広く、より拡張的な視点で捉えることです。
イエスが弟子たちに船の右側に網を投げるように指示したとき、
彼は単に漁の助言をしただけではありませんでした。
彼は心の本質についてより深い教訓を教えていたのです。
脳の論理的で理性的な部分を象徴する左脳は、
ある意味で欲求不満と空虚さしか生み出しません。
 

これは、理性と証拠だけに頼ることの限界を表しています。
ただし右脳は、真の豊かさと可能性が存在する
意識の直感的な精神的側面を象徴しています。
左から右へ、論理から直感へと移行することは、
理性的な心には妄想のように見えますが、
実際にはより高次の真実を受け入れることを意味しています。
 

自分の願望や目標への取り組みを考えてみましょう。
左脳が支配する論理的思考は、
物事がどのように起こるかを常に疑問視し、
行動を起こす前に具体的な証拠を求めます。
この考え方は、あなたを現実の狭い一片に縛り付け、
現在の状況に基づいて可能と思われるものだけに
あなたの可能性を制限します。
 

妄想とみなされる領域に足を踏み入れると、
論理的な心では理解できない
さまざまな可能性に自分自身を開くことになります。
これは理性を放棄することではなく、目に見えない未知のものが
あなたの最も深い欲望を顕在化させる鍵を握っていることを認識して
理性を超越することです。
焦点を現実から目に見えないものに移すことで、
従来の理解に反する可能性の源泉に触れることができます。
 

妄想を受け入れるということは、
すべてのものの相互関連性と信仰の力を理解する、
あなたの意識の高次の側面と調和することを意味します。
古代の聖人たちは、真の創造はこの高次の意識から生まれると教えました。
彼らは、論理的な思考は有用ではあるものの、
可能性に関する究極の権威ではないことを知っていました。
直感と信仰に導かれることを許すと、
目の前の物質世界を超えて見ることを始めます。

 

この視点により、自我の制約を回避し、
より深い知恵に繋がることができるようになります。

この状態では、他の人には妄想のように見えるものが、
あなたの神聖な可能性の自然な表現になります。
あなたはもはや理性的な心の限られた視点に縛られることなく、
宇宙の無限の可能性を自由に探求することができます。

 

極性の法則

妄想を秘教の教えの視点を通して理解することは、
極性の秘教的原理に私たちを導きます。
存在のあらゆる側面には、固有の二重性があります。
これは、Kybalionキバリオン
「すべての真実は半分の真実である」という言葉で示されています。
何かを妄想と解釈することは、
偏光レンズを通してそれを見るようなものです。
理性的な心は限界を見て、
その限界を超えるものはすべて非現実的であると見なします。
しかし、この認識はコインの片面にすぎません。
反対側はより広い真実を明らかにします。
ある人が妄想と見なすものが、
別の人には幻想的であるように見えるかもしれません。
この二重性は、現実が固定されているのではなく、
あなたの認識によって形作られる流動的な現象であることを示しています。
 

「すべての真実は半分の真実である」という考えを受け入れると、
自分の信念が人生に与える影響が見えてきます。
あなたの論理的な心は、具体的な証拠と合理的な手順を主張し、
この枠組みの外にあるものはすべて空想的であると見なすかもしれません。
しかし、視点を変えて目に見えないものや直感的なものを受け入れると、
即時の具体的な証拠を超えた可能性を認識し始めます。
この変化で論理が否定されるのではなく、論理が超越され、
合理的なものと直感的なものの両方が共存できるようになります。
したがって、いわゆる妄想が、
より大きな可能性への入り口になることができ、
より広い現実の見方に、自分を合わせることができるようになります。
 

あなたの知覚は、あなたの経験を形作る上で重要な役割を果たします。
目に見えるものや証明できるものだけに集中すると、
現実の狭い範囲に自分を制限してしまいます。
しかし、目に見えないものや直感に心を開くと、
自分の可能性が広がります。
宇宙の神秘をより深く理解することは、論理を拒否するのではなく、
論理と統合することを意味します。

知覚の全範囲を受け入れることで、
合理的な心の制約を超えることができます。
妄想のように見えるものが、実際には
『より豊かでより充実した世界を開く可能性があること』を認識しながら、理性と直感の均衡を保ちながら人生を歩むことができます。
 

自我エゴと理性的な心を克服する

論理から直観へ、現実から妄想のように思えるものへの旅には、
自我と理性的な心を克服する必要があります。
主に脳の左半球に存在する自我エゴは常に
「どのように」「いつ」「どこで」
という答えを要求することであなたを守ろうとします。
自我エゴは予測可能性と具体的な証拠を糧に、
すぐに証明できないものはすべて却下します。
しかし、あなたを守るために設計されたこの考え方は、
あなたを現実の限られた物質的見方に縛り付ける障壁にもなり得ます。
この障壁を乗り越えるには、自我エゴの絶え間ない要求を静め、
自分の中に存在するより高次の直観的な導きを信頼することを
学ばなければなりません。
 

自分の夢が実現する方法に疑問を抱くときはいつでも、
それが自分の自我エゴが支配を維持しようとしていること
だと認識してください。

直感的な心の可能性は、恐怖と疑いによって生み出された
この疑問によって、完全に受け入れられるのを妨げられています。
重要なのは、これらの疑問に対する権威を穏やかに、
ですがしっかりと宣言することです。
精神的な綱引きに従事するのではなく、自我エゴの懸念を
冷静に認め、焦点を移してください。
「方法」はあなたが決めるものではないことを
自分に思い出させてください。
そうすることで、あなたの中にある神の心の無限の知恵が、
詳細を調整できるようにします。
この練習は理性的な心を落ち着かせるだけでなく、
作用している目に見えない力に対するあなたの信仰を強めます。
 

理性的な心を克服するには、
顕現に対する理解を再定義する必要があります。
真の顕現とは、
意志の力だけで外部の現実を操作することではなく、
内部の意識状態を変えることです。

内なる世界を自分の欲望と一致させると、
安心感を得るために、外部の承認や証拠に頼らなくなります。

代わりに、自分の内なる一致が自然に望ましい結果を
自分の人生に引き寄せるという確信と平和の感覚を育みます。

論理を超えることは、強力な「信仰と信頼の行為」です。
これを実践すると、徐々に自我エゴが知覚を支配する力が解体され、
神聖で直感的な心があなたを楽々と目標へと導いてくれるようになります。
 

妄想と現実主義の戦い

妄想と現実主義の間の内なる戦いを乗り切ることは、常に挑戦です。
一方では、論理的な心に根ざした現実主義の声があり、
常に限界と制約を思い出させます。
悪魔の代弁者と呼ばれることが多いこの声は、
実用性と証拠に焦点を当て、地に足をつけておくよう促します。
他方では、妄想の声があり、現在の状況を超えて夢を見て、
常識に反する可能性を思い描くよう促します。
あなたは、真の豊かさが眠る未知の世界に網を投げるよう
神に呼ばれています。

 
この戦いは単なる精神的な訓練ではなく、深遠な精神的な旅です。
妄想のように見えるものを受け入れるとき、
あなたは単に論理を拒否しているのではなく、
物質世界を超越するより高次の真実に同調することを選択しているのです。

この同調には、目に見えないものへの信仰と深い信頼が必要です。
この旅を進めるには、
両方の声が目的を果たしていることを認識することが重要です。
理性的な心はあなたを安全で安定した状態に保ち、
直感的な心は無限の可能性への扉を開きます。

自分の中でこれらの側面のつりあいをとることが、
調和のとれた充実した人生を実現するための鍵です。
 

疑いの瞬間には、歴史上最も偉大な業績が、
かつては幻想とみなされていたことを思い出してください。
先見の明のある人、革新者、精神的指導者は皆、
懐疑や嘲笑に直面してきましたが、
彼らの理想に対する揺るぎない信念が彼らを偉大さへと駆り立てました。
あなたの旅も同じです。
妄想を受け入れるとき、
あなたは現実の共同創造者としての力を発揮します。

どちらか一方を選ぶのではなく、
両方を統合して知恵と勇気を持って自分の道を進むことです。

そうすることで、物質世界の限界を超越し、
神の無限の可能性と調和するのです。



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