物事の本質を理解するのに、Spiritual(スピリチュアル)な視点もありだと思います。
事象を観察するのに、
「こちら側からの観察結果は認められません。」
と言われると、むしろそちらから観察したくなりませんか?
ありとあらゆる角度から、事象を観察するのであれば
「常識」にとらわれるのが、一番の障害だと思います。
むしろ「常識だと思っているもの」こそ、
一番疑わなければいけないものなのでは?
「常識」にとらわれ過ぎて、
見えているはずのものが、「見えない」と思い込んでいるのでは?
何者かにとって都合が悪いから、排除されているのかもしれない視点。
そこにこそ、探求しているものの本質があるかもしれないのに・・。
某国では、超心理学も宇宙人研究も真面目な研究論文として存在しますが、
日本でやると、ちょっとアレな感じになりますね。
日本の教科書では絶対に取り上げられませんが、
Isaac Newtonのオカルト研究は有名です。
むしろ科学への貢献に対する記述と合わせて、
「Newtonは賢者の石の研究をしていました。」
と教科書に書いた方が、子どもたちの学習意欲がわく気がします。
「錬金術の研究をしていました」とは、教科書に書いてありますが・・。
ちなみに、2003年に海外の多くのmediaで取り上げられた
「2060年までは世界は終わらない。」という予測まであります。
彼は聖書研究にも熱心だったので、聖書を通して世界を見ていた部分もあります。
Spiritualな視点といっても
自分が信じる宗教がもとになることが多いのですが、
無神論者だと思っている日本人の場合は
『自身の行動理念や価値観がどこから来ているか?』
になるんですかね?
宗教にこだわらない日本では、
解釈の方法に色んなtoolがあるのですが、
そういったものを利用して自分に起きている現象を読み解くのも、
謎解きみたいで楽しいですよ。
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