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憧れの先にあるもの

かつて大人は憧れだった。

ごきげんな飲み物、真夜中のテレビ、キレイなメイク、素敵なパーマ、おしゃれなバッグやハイヒール、キラキラひかるアクセサリー、カッコいい車。

どれもこれも子どもには手に入れることができない、大人だけの特別なもの。

ふと、母親にナイショでこっそり塗った口紅がちっとも似合わなくて、ますます大人への憧れを膨らませた子どもの頃を思い出した。

でも、大人になって気がついた事がある。子どもが大人に憧れるように、大人だって子どもの中に、夢や希望や憧れを見いだしているんだと。

かつて子どもだった私は、はたして今の子どもたちが憧れる大人になれているだろうか。

子どもたちが「大人になるのが楽しみだ」と思えるような、誰かの生きる力になれるような、そんな人になれたら嬉しい。それが、今の私の新しい目標。
(新聞屋さんのミニコミ誌マイタウンあさひvol.277 2023年12月号より)

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このちぎり絵と文章は、ミニコミ誌「マイタウンあさひ」2023年12月号の表紙に掲載されたもの。

当初は、既存の作品でいいので何か表紙に掲載させてもらいたいということでお話を頂き、過去の作品の中から季節に合ったものを提供させて頂く、という感じで良ければと、簡単に引き受けてしまったのだけれど、結局私のこだわりの強さと凝り性が災いして、新作を書き下ろし、いや、ちぎり下ろしすることになった。

そうなったのにはワケがあって、よくよく聞いてみたら、これまで表紙を担当されてきた方々は、絵と一緒に250~350文字くらいのコラムも掲載しており、実際の誌面を拝見すると、絵の解説だったり、スケッチしたお店の紹介だったりと自由な文章が添えてある。

うわぁ…どうしよう…と思いつつ、文章を書く機会を頂けるのはとても嬉しいな、とか、でもこの文字数で何が書けるかな…とか、いろんな事が頭の中でグルグルと入り交じり、考え込んでしまった。

まず、どんな文章が良いかな、と考えた。
12月号だからクリスマスや年末に関連した内容にしようかな、とも思ったけれど、あまりにもベタすぎる。
せっかく文章を書くなら、表紙になるちぎり絵と関係した内容のコラムにしたい。
でも、既存の作品にはそれぞれ既にテーマやタイトルがあって、必ずしも書きたいと思う文章と合うとは限らないから、まずは絵を先に決めてから、それに合うコラムを考えようかな、と思い立ち、ちょうどいい絵を探そうとするも、どれもなんだかしっくりこない。
そんなことをあれこれ考えながら手を付けられないでいるうちに、あっという間に締め切りが迫っていた。

私は常々「悩むということは、そこに答えはないんだよ」ということを実感しながら作品づくりをしてきた。
これだ!とピンときたときって、悩む必要もないくらいに明確に答えが出る。私の場合は悩んでいる時点で、本当はコレじゃないけどなんとかうまいことコレで丸くおさまらないかな…という無意識の悪あがきが始まっているサインでもあったりする。

今回もそのパターンだった。
なんとか既存のちぎり絵に合わせて無理矢理にでも文章を書いて、この場をおさめようとしたけれど、「これじゃない」というしっくりこない感じは自分が一番感じているわけで。

チグハグなものを掲載するくらいなら、絵も文も書き下ろしにした方がずっと楽しいし良いものができるに決まってる、そんなこと分かっているのに、どうにかうまいこといかないかなと悪あがきする時間をたっぷり使って、締め切りギリギリにようやくあきらめがついた。

追い詰められるとがぜんひらめきや集中力が増すのも私の悪い癖w
火事場の馬鹿力ならぬ締め切り前の驚異の集中力でちゃんと締め切りまでに間に合うように入稿できて大満足。

やっぱりワクワクする気持ちはいつだって大事だなと、このコラムを書いたときも、今も、そして子どもの頃を振り返ってみても、この気持ちだけは変わらない。

子どもシリーズのちぎり絵は、私が大事にしているモチーフのひとつだ。
日々の暮らしの中に、何でもない日常の中に、幸せや喜びや楽しいこと嬉しいことが転がってる。

三人の子どもたちと過ごす日々は、目の前の子どもたちの姿に自分の幼少期を重ね、なぞるようにしてあの頃の記憶を辿っているかのよう。

そして、その記憶のカケラを拾い集めてはひとつひとつ作品にしていく、そんな日々がまたとても愛おしいのだ。

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